ビーの泉4088ストーリーに沿って


最終更新:2026年9月5日

ストーリーに沿って

  1. 名付けて『生家のテーマ』(変ホ長調:アンダンテ)
    寝る前に読んでもらう本を選んで決める感じで。物語の外の世界から物語の中の世界へ入っていくための音楽として。プレイヤーが最初に聞く音楽は「街」でも「序曲」でもなく「生家」を描いた特別な曲であってほしい。「生家」で寝泊まりするたびに聞ければよい。「生家」とは特別なものなのだ。「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」はベートーヴェン「27歳」の年に出版されたが、作曲年については諸説ある。いずれにしても「22歳」で生地「ボン」から「ウィーン」へ移った作曲者が「ウィーン」で完成させ出版にこぎ着けたというタイムラインは確かである。出版が認められるという意味での曲の完成には「22歳」から「27歳」まで5年もの歳月を要しているのだ。コーヒー豆は『60粒』。若いうちの5年とは非常に長い時間である。なお「生家」の呼称は画面内にはないがオリジナルのファミコン版の取扱説明書の「アリアハン」のマップに記載がある。
    (13秒)

  2. 名付けて『朝のテーマ』(変ホ長調:アレグロ・モデラート)
    『朝』限定。「生家」や「宿屋」に泊ってから外へ出たとき。「街」や「村」の音楽を「昼」と「夜」で変えるより『朝』専用のテーマがほしい。江戸時代、袋井宿の本陣で提供されていた「たまごふわふわ」。宿屋の朝食の卵料理のために宿屋の裏手で飼われているニワトリが鳴くだけでは『朝』の空気感を描ききれていない。「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO 38」は一説によると「ベートーヴェン」が生地を離れウィーンに向かう直前の時期に作曲されたという。「第1楽章」は、ドラクエ3の「アリアハン」から旅を始めようという情景と重なるところがある。街で旅の支度をする。激励の言葉をかける者あり、先輩風を吹かせて助言する者あり。これぞハンカチとティッシュである。その名に反してハンカチで鼻をかんではいけないというのがひっかけ問題である。駅前もしくは商店街の「ふくびき」でもらったティッシュを母の手作りのケースに詰め替えるのである。『身支度のテーマ』と呼んでもよく、その意味では「生家」「アリアハン」に限らず「宿屋」の情景ともなる。
    (33秒)

  3. 名付けて『アリアハンの王のテーマ』(ハ長調)
    「16歳」で「旅立ち」というが、王さまの話は遠足の注意事項のよう。おやつは300円。「勇者」には100ゴールド。ドラクエの王さまは校長先生なのだ。『校長先生のテーマ』と呼んでもよい。何も考えずに無表情で歌う朝の校歌のイメージ。校歌を歌うのに考えちゃダメだ。校歌に疑問を持ってはいけない。1ドル=100円。1ゴールド=100円。…考えちゃダメだ! 「12のメヌエット」の3番目。「16歳」の我が子を『校長先生』(※意味深)に引き合わせる頃合いだろう。
    (54秒)

  4. 名付けて『アリアハンのテーマ』(変ロ長調:アレグロ・コン・ブリオ)
    ドラクエ3の「街」の音楽が実は「アリアハン」専用なのではないかと思えてきたら、もっと「アリアハン」だけを詳しくイメージした音楽がほしくなる。しかし「アリアハン」は創作の度合いが高い存在であるため、何をイメージすればよいのかは自明ではない。「アリアハン」に『名物』のようなものがあるという話は出てこないので「アリアハン」そのものでなく、情景や心情を詳しく描こうということになろう。「生家」を出て「お城」までの道は「交差点」のよう。信号をよく見て、ハンカチとティッシュである。道を歩いてくる人を避けようとしたら、相手も同じ側に避けてぶつかる。ぎくしゃく歩く「16歳」。問題ない。ドラクエ3のBGMを自分流に作ってみようとする人は無数にいるはずなのにこれといって有名になったものがないのは、誰もが「アリアハン」から順番に考えようとして、その「アリアハン」で盛大に行き詰まるからなのだろう。「ピアノソナタ 第11番」はベートーヴェン「30歳」の年に完成。初期の作風の総仕上げとなる自信作だったというが、現在はあまり知られていないとされる。それをまた1988年のナクソスといういかにも廉価盤“然”とした投げやりな演奏で聞く。そこに楽譜があるから弾くだけだといった感じである。1枚のCDに曲を詰め込むためか、妙に演奏が速い。そんな演奏からでも何か感じるものがあるとすれば、それが実は「アリアハン」なのではないか。「アリアハン」とは、例えばエスペラント語のように人工的な創作なのだ。作った本人は自信満々だが、よくわからないものになっているのだ。『アリアハンのテーマ』としては冒頭部分を聞くが、後半部は『旅の扉のテーマ』として聞く。そこまで様相の異なるものが1曲に詰め込まれているわけだ。まさにエスペラント語に例えずして何に例えられようか。「ベートーヴェン」本人だけが大いに自信満々なのもわかる気がしてきそうである。「30歳」の時点での本人にとっては紛れもなく最高の音楽だったのだ。
    (19秒)

  5. 名付けて『ルイーダの酒場のテーマ』(ト短調:アレグロ)
    例の「あちらのお客様からです」が滑ってくる。「ベートーヴェン」に「あちらのお客様からです」の主題が存在するとは思ってもみなかった。「ベートーヴェン」という名の『音楽の引き出し』をもってすれば何でもできる気がした瞬間である。「ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 Op. 49, No. 1」は、ベートーヴェン「25歳」から「26歳」にかけてのスケッチを「28歳」の年に完成させたものと推測されている。もうもうと湯気を上げる真っ赤なロブスター。「アリアハン」は「湾」に面しているので、ロブスターだのオイスターだのといったものが名物にならないわけがない。「ロンド アレグロ」は「第2楽章」になっているが本来は「第4楽章」ではないかという話もあるようだ。弟子のための練習曲として書かれたとされているが、「ベートーヴェン」という名の『音楽の引き出し』に耳を慣らし、その「底」の知れなさを知るのに格好の題材であるのは間違いない。急に肩をつかまれたような感じでカメラがグイッとパンして、最後は全員集合で店の名前を高らかに歌い上げて締めくくる。
    (9秒)

  6. 名付けて『種のテーマ』(ハ長調)
    リメイク版では「種の使い方」で延々と悩む。「ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op. 111」は、ベートーヴェン「52歳」の年に書かれた「最後」のピアノソナタで「交響曲第9番」とも並行して作曲されていたという。「第2楽章」の「第3変奏」を『種のテーマ』として聴く。なお、この「第2楽章」の演奏時間は10分50秒のものから26分54秒のものまで幅があるという注釈がウィキペディアに見られる。ここで聞いたナクソスの音源では16分27秒となっており、これでもだいぶ速い演奏なのではないかと感じるところではある。…よござんすか? ……よござんすね? ゲームや賭け事の「サイコロ」を振るイメージで、『種』を酒場のカウンターに盛大にぶちまけよう。ベートーヴェン「52歳」。この「第3変奏」で『何』をぶちまけたのだろう。オリジナルのファミコン版には、こんな悩みはなかった。せいぜい「アリアハン」から1歩も出ずに「ぬののふく」を売り続けてゴールドを貯めるこったな!
    (124秒)

  7. 名付けて『旅の詩人のテーマ』(ニ長調:アレグロ)
    いわゆる「吟遊詩人」を「ぎんゆうしじん」と書いてもわかりにくいので「たびのしじん」と書くことにしたのだろう。大げさな話しぶり。見た目からは想像のつかない美声で何かを歌う。圧倒される。それが「旅の詩人」だ。その話が本当なのかウソなのかはわからない。それが「旅の詩人」だ。「吟遊」の「遊」は「外遊」や「遊学」の「遊」。遊んでるんじゃないやい。「ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op. 10, No. 3」の「第3楽章」は「ソミ」ではじまる典型的な癒し系の主題で、ふと新たな光が差し込んできた感動的な瞬間だという。ベートーヴェン「25歳」から「28歳」までに書かれたとされ、「難聴」の進行と関連がないはずがない。遠くから呼びかけられていても聞こえず、いきなり肩をつかまれるような感じとでも言えばよいのだろうか。ドラクエ3のシステムでは通常のセリフとして表示されるのみだが、イメージとしては「たびのしじん」こと「吟遊詩人」は浮世離れした物語を唐突に節をつけて歌うもの。その「唐突さ」に通じるものがあるだろう。
    (22秒)

  8. 名付けて『アリアハン大陸のテーマ』(変ホ長調:アレグロ・カンタービレ)
    遠足気分でフィールド(野外)に出て行く「16歳」。父の意向でマクシミリアン・フリードリヒに献呈させられた「ピアノ・ソナタ 変ホ長調「選帝候ソナタ第1番」 WoO 47」から「第1楽章」を『アリアハン大陸のテーマ』として聴く。作曲時のベートーヴェンは「12歳」から「13歳」だったが「どうも! 父です」と書かれたプラカードを掲げた(ような感じの)父の画策で「11歳で作曲した!」と宣伝されたという。なあにかえって「16歳」の重みが増す。「カンタービレ」は「歌うように」という指示だが、「13歳」の『ベートーヴェン』が本当に歌うのか。…歌っちゃうのか? どんなに歌いたくてうずうずしても、たぶん歌ってはいけないのだ。遠足気分が、本当の遠足になってしまう。遠足のバスのカラオケで歌う人はまばら。レパートリーは微妙に古い。「WoO 47」は、「C.P.E.バッハ」や「スカルラッティ」といった、「ベートーヴェン」から見れば相当に古いものに範を取っていると解説される。なあに技量が示せればいいのだから新しい必要はない。遠足のバスの運転手の技量は『校長先生』(※文字通り)が直々に確かめることになっているが、どうやって確かめているのかを見聞きしたことはない。ナウなヤングならレッツゴーとは言わないが、間に「ら」を挟んで『レッツらゴーのテーマ』と呼んでもいい。(※よくない!)ベートーヴェンの時代には「幼稚園」がなかったが、「幼稚園」で演奏されるピアノ曲はベートーヴェンの弟子といった世代のピアノ教師たちにより整えられていった。源流には「ベートーヴェン」がいたということにはなる。現代のわたしたちが「WoO 47」を聞いて「幼稚園」を連想するのは、すでに「幼稚園」で「WoO 47」のような曲をたくさん聞いたからなのであって、「WoO 47」が作曲されたときに「幼稚園」というイメージがあったわけではないのは当然である。
    (19秒)

  9. 名付けて『戦闘のテーマ』(ト短調)
    「ベートーヴェン」という名の『音楽のおもちゃ箱』に「戦闘」の主題なんてあるのか。「行進」と「英雄」はあっても「戦闘」そのものは、ないのではないか。『ベートーヴェン』が戦場に立ったことがあったか。ピアニストで教師なおかつ楽譜出版に楽器製造までもを手掛けていた「ムツィオ・クレメンティ」からの委嘱による「幻想曲 ト短調 Op. 77」は、ベートーヴェン「39歳」の作。初代「ドラゴンクエスト」の戦闘っぽい。いわゆる「エンカウント(遭遇)」で画面をスパイラル状のワイプで黒くするときの「じゃららんじゃららん」の音もありーの、刀はないかも知れないが剣が乱れ舞う音もありーの。これには流石のハチャトゥリアンもしたり顔。…コマンド? 逆に言えば「ドラクエ3」の戦闘のBGMは「クラシック音楽」の考えだけでできるものではなく、そこに存在する「すぎやまこういち」という名の独創性には改めて目を見張るところだ。ただ、「ドラクエ3」の戦闘のBGMが「戦闘」の情景を描いているのかは疑問で、なんとなく「そろばん」を連想させる。ゲームの画面と音楽は限りなく一体だ。画面では敵に与えたダメージと味方が受けたダメージが刻々と数字で表示され続ける。まるで「そろばん」ではないか。BGMの一部ということではないが戦闘の終了時の音は「ご破算」のイメージだ。どのような着想で「ドラクエ3」の戦闘のBGMが生まれてきたのかは興味深い。「ドラクエ3」のBGMの作曲にあっては、既に初代「ドラゴンクエスト」と「ドラクエ2」が手元のファミコンでプレイできるという環境にあったわけである。戦闘の画面をずっと見ながら作曲したとでも言うのだろうか。ぜんぜんわからない。なお、「すぎやまこういち」は「14歳」で終戦を迎えている。
    (61秒)

  10. 名付けて『教会のテーマ』(ニ短調)
    「キアリー」の呪文を覚えるまでは「どくのちりょう」を受けに何度か訪れる「教会」。扉が開いているのか閉まっているのか。それが問題だ。いずれにしてもおずおずと入る。一部にわかりやすく言えば、JR船橋駅の緩行ホームから下りる階段の最初の半端な段差で躓くがごとく、段差に見えない段差がきっとそこにあるのだ。誰が言ったか知らないが、乾杯とは杯を乾かすことであるとともに、行列とは並ぶものであり、敷居とは跨ぐものであるとはよく言ったものである。「ピアノ・ソナタ ハ長調 WoO 51」の「第2楽章」から、ニ短調の主題を『教会のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「20歳」から「21歳」にかけて書かれたとされる未完成の作品(断片)。日本の園児は「花」と言えば「チューリップ」を描くものと決まっているが、諸外国では「花」と言えば「マーガレット」の類を描くものと決まっているらしい。きっと「教会」の前に「マーガレット」が植えてあるところがあって、そこにある「掲示板」に何か有難い言葉が書いてあるのだ。聞けば、「どくけしそう」を畑の肥料にするゲームもあるという。古来より「やくそう」とは教会や修道院の庭で栽培されたものである。古代の呪術に由来を求める説明もあるが、中世にもなればむしろ「やくそう」をつつがなく供給するためにこそ、むやみに人が入らない教会の庭や修道院という場が薬草学の『現場』となっていったのだろう。「やくそう」「どくけしそう」知識が無ければただの草どころかむしろ毒。庭という庭をすべて芋畑にするのもとんでもないことではあるが、それにもまして小学校の先生ともあろう者が道端の「タンポポ」を天ぷらにして児童に食べさせてはいけないのである。
    (23秒)

  11. 名付けて『ソクラスのテーマ』(変ホ長調:アレグレット)
    名前のある登場人物シリーズ。『道具屋のテーマ』と共通。「やくそう」「どくけしそう」からの連想で「薬局」「化学」のイメージがあるが、そういう勉強をしたのに「道具屋」になり損ねると「ソクラス」のようになるのだ。「ソフト無ければただの箱」とは、まだパソコンが大きな箱型だった時代によく言ったものである。「Hess番号」は、ベートーヴェンの未完の作品や断片のもの、スケッチなどを整理してヴィリー・ヘスが1957年に発表した。「アレグレット 変ホ長調 Hess 48」は、ベートーヴェン「22歳」の年に書かれたとされ、偽作の疑いは薄いとされている。『題名のない音楽』だからこそ『ソクラスのテーマ』だの『道具屋のテーマ』だのと勝手に名付ける楽しみの余地がある。そもそも「ベートーヴェン」の時代、楽曲という楽曲のすべてに必ず「題名」があったというわけではない。そのような音楽史にも思いを馳せながら『ソクラスのテーマ』を聴いて、あなたも「ソクラス」になってみるのはいかがだろうか。いやいやいや「道具屋」になるために「22歳」まで勉強を重ねたのに「道具屋」になり損ねるなんてまっぴらごめんだというあなたは『道具屋のテーマ』のほうを聴いてほしい。牛丼パソコンに、バーガーパソコン。せめて『粗大ごみ』と呼ばれることのないようにしてもらいたい。
    (67秒)

  12. 名付けて『ナジミの塔の老人のテーマ』(ニ長調)
    ドラクエ3では「塔」の音楽は1種類きりだが、本来は塔ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「ドラゴンクエスト」シリーズはもとより「RPG」そのものが初めての人にとって「ナジミの塔」が「ダンジョン」であるという認識は希薄だ。プレイヤーの心情に沿えば「ナジミの塔」の音楽は「ダンジョン」ではなく「ピクニック」だろう。せいぜい虫に刺されないように注意しましょうという遠足の注意事項くらいの注意しか払っていないのである。半信半疑の遠足気分に輪をかけるように「ナジミの塔の老人」が夢見心地なムードを漂わせる。「ピアノ・ソナタ ニ長調「選帝候ソナタ第3番」 WoO 47」の「第2楽章」は後年の作品とも遜色ないと評される変奏曲。短く切り出して聴いても情景がよく浮かぶことが実感できるだろう。同じ曲の後半部を『アープの塔のテーマ』としても聴く。ここでは「老人」をイメージしたが、そもそも「塔」というものを想起させる曲ではあるのだった。ありていに言えば、よぼよぼと階段を上がるイメージである。ドラクエ3では『なぜか』民家の2階や塔の上といったところに「老人」がいる。なるほど階段と「老人」。猫の木登り。上がることはできても、下りることができないのだ。ドラクエ3の「塔」から階段を下りて出てきたことがあったかというと、まったく記憶がない。ここを逆手に取ったのだろうか、ドラクエ4やドラクエ5では「塔」の最上階にいきなり放り込まれるという演出がある。日本の大きなお寺では山の上に本堂があり、本堂から離れられない高僧のため、ふもとで調理した食事を長い石段を上がって届けるもの。煮炊きに使う水が山の上で汲めるわけがなかった。ドラクエ3の「ナジミの塔」へ続く通路は「青函トンネル」(1988年)を思わせるが、実は「サンシャイン水族館」(1978年)のイメージが混ざっているのかも知れなかった。「プリンスホテル」である。あの「老人」は「宿屋」に食事を届けさせているのだ。ドラクエの新宿から見て池袋は隣町である。
    (35秒)

  13. 名付けて『本棚のテーマ』(イ長調:アレグロ)
    リメイク版では「本棚」を調べることができるようになり、ただの『背景』の家具ではなく「情報」や「知識」の在り処を示す『アイコン』に昇格した。しかも「本に関する本」いわゆる「本の本」まであるのが本屋や図書館屋としては感涙ものだ。多種多様な本が並ぶようすやページをめくるようすをいきいきと表現しよう。『賢者のテーマ』と共通。「ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op. 101」は、ベートーヴェン「46歳」の年の秋に書かれた作品で、だからというわけではないが「読書の秋」を連想させられるところがあるように思う。「第3楽章」は、長いトリル、ポリフォニックな展開、駆け上がるアルペッジョと、『ベートーヴェン』ならではの「自由な展開」が堪能できる。作曲当時のピアノと現代のピアノの違いもあぶり出される楽曲で楽しみが尽きない。
    (17秒)

  14. 名付けて『酔っぱらいのテーマ』(変ホ長調)
    夜になって「街」に戻ってくると「酔っぱらい」が道で寝ているのだ。ここはどこの早稲田だろう。高田馬場にいたはずだったのに記憶がない。なあに早稲田ならかわいいものだ。小手指で目が覚めたのでは泣くに泣けない。「12のメヌエット」はウィーン美術家年金協会主催の宮廷舞踏会のために作曲され、その年に出版されたのはピアノ編曲版だったが2年後に修正を加え再演、7年後に弦楽三重奏編曲版が出版されたという。ピアノで聞くと顕著だが「自分は酔ってなどいない!」といわんばかりの(紛れもない)酔っぱらいの陽気なようすとゴキゲンな千鳥足を活写している。呂律も少しあやしい。舞踏会の場で披露された演奏と出版されたピアノ編曲版ではイメージがまるで違うのではないだろうか。弦楽器では何かそういう洒落た装飾音だとしか受け取られないだろうが、ピアノで弾くと呂律が少しあやしい酔っぱらいを実にうまく表現していることがわかってしまうのである。表現の意図が包み隠さず表われてしまうピアノ編曲版は一種の「答え合わせ」と言える。
    (20秒)

  15. 名付けて『レーベのテーマ』(変ホ長調)
    ドラクエ3では「村」の音楽は1種類きりだが、本来は村ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「アリアハン」と同じく創作の度合いが高い「レーベ」について想像を膨らませるのは難しい。これといった産業が無さそうに見えるのに「村」があれば、それは相当の『御役目』を負わされた重要な村であるに違いない。外見上はあくまで「ふつうの村」を装う。実はお城から派遣された人間なのだとしても、わざとらしく長閑な暮らしをして見せる。武器と防具は装備しないと意味がないぞ。弦楽器はノコギリだ。問題ない。「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」から、メヌエットの「第5楽章」を『レーベのテーマ』として聴く。ベートーヴェン「27歳」の年に楽譜が出版された。ボンからウィーンへ出た「ベートーヴェン」は、2度とボンへは戻らなかったという。
    (49秒)

  16. 名付けて『レーベの老人のテーマ』(ト長調)
    しかるべき方法で「扉」を開ける。ぎぎぃ…。ぐつぐつと煮えたぎる謎のなべ。水や火は1階の土間で使う。『水回り』を2階に移して『減築』するなんて、とんでもない! 「弦楽三重奏曲 ト長調 Op. 9, No. 1」から、スケルツォの「第3楽章」を『レーベの老人のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「28歳」の年に出版され、オーストリア帝国でロシアの代理人を務めていたヨハン・ゲオルク・フォン・ブロウネ=カミュ伯爵に献呈された。その話を知ってから聴くと、どこか「ロシア風」に聞こえてくるものである。わたしたちの耳は、かくもいい加減なのだ。「レーベの老人」は外国の代理人に違いない。坂の上の洋館からは異国の歌が聞こえ出窓には高い置き物のような猫が鎮座しバターと小麦が薫ってくるものと相場が決まっている。謎のなべでぐつぐつと煮えたぎる謎の液体は、きっとロシア料理なのだ。「アリアハン」や「レーベ」の食文化とまったく異なる食生活をしている『異人』という描写(のつもり)なのだろう。ならば「レーベの老人」の『家』は坂の上にあるべきだった。ファミコンのドラクエ3では「村」の中で「坂の上」といった表現ができなかったからこそ『扉』1つで表現していたと言える。「16歳」の一行が村から出て見えなくなった頃合いで伝書鳩を飛ばす。実際、ドラクエ4では監視の兵士がそれとなくついてくるといった演出がある。「16歳」には見えていない『世界』が、そこにはある。
    (12秒)

  17. 名付けて『いざないの洞窟のテーマ』(ホ長調:ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ)
    ドラクエ3では「洞窟」の音楽は1種類きりだが、本来は洞窟ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「いざないの洞窟」は『洞窟』と言いながら石造り。むしろ神殿や遺跡の類である。その荘厳さを煌びやかな音色で表現しよう。ふと気づく。これは新幹線の上野駅ではなかろうか。あるいは京成上野駅でもいい。プップップー、プップッ。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、そして日本。遺跡として発掘されたら『地下神殿』と思われてもおかしくない荘厳な地下ホームに発車のベルが鳴り響く。なるほど「16歳」。変な合点がゆく。側灯滅。いざ、スカイライナーでローマの旅へ。「ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109」から「第1楽章」の冒頭を『いざないの洞窟のテーマ』として聴く。東京駅に乗り入れるJR西日本の新幹線「W7系」ひいては「周波数変換所」とは言わないまでも、速度と拍子の異なる楽想が1つの楽章にまとまっているさまは「ベートーヴェン」自身が『新しいベートーヴェン』を切り拓こうともがくかのようだ。時に、ベートーヴェン「50歳」。テールライトは、まだ終わらない。空と君の間とは言わないが、大晦日に黒部ダムで演奏するまでは『終われない』と言ったほうが正しい。
    (65秒)

  18. 名付けて『旅の扉のテーマ』(変ロ長調:アレグロ・コン・ブリオ)
    緊張の「16歳」、『離陸』の瞬間。ぐわらんぐわらんぐわらん…。うなるジェットエンジン。全身に『G』を受け、雲を抜ける。理科で習った重力加速度の式が頭の中でぐるぐるする。ウェ~。音楽とも効果音ともつかない「旅の扉」の音だが、これにもきちんと「クラシック音楽」という裏付けがあるのだ。実際にピアノで「旅の扉」のような音楽とも効果音ともつかない音を弾くことができるのだ。即興のお遊びではなく作品として、そのような音を弾かせる楽譜が正式に出版されているのだ。「ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 Op. 22」は、ベートーヴェン「30歳」の作品。トレモロとアルペッジョこそ『ベートーヴェン』だとして「後期」の交響曲につながる曲だという今日的な理解もできようが、実は即興のお遊びを書き留めただけなのではないかという気がしないでもない。この曲そのものを作曲の時点で評価できたかというと、それは無理だろう。『旅の扉のテーマ』を「弾いてみた」するに際しては背中を丸めて目を真ん丸に見開き、丸薬を丸めるような手つきで演奏のこと。ピアノ曲とは、単にそういう楽譜ですというのでなく、ピアニストが演奏する姿(がどう見えるか)と一体なのである。
    (35秒)

  19. 名付けて『ロマリア半島のテーマ』(ヘ短調:プレスト)
    ドラクエ3の「ロマリア」には「いきなり着く」という感覚がある。遠足気分から旅行気分へ。「16歳」に拍車がかかる。プレスト。『旅の扉のテーマ』から途切れなく続けて。つまり「旅の扉」を通ったら「ほこら」ではなく、いきなりフィールドの音楽になってよいのではないか。フィールドの音楽も地方ごとに変えてあってほしい。あるいはフィールドの音楽の音量を変えるという演出でもよい。「旅の扉」を通った先が「ほこら」の中だとしても、外の音や空気が、そこにはある。そのようすを、フィールドの音楽を小さい音量でかすかに流すということで表現できるだろう。「ピアノ・ソナタ ヘ短調「選帝候ソナタ第2番」 WoO 47」より、ヘ短調の「第3楽章」を『ロマリア半島のテーマ』として聴く。イタリア生まれの「スカルラッティ」をよく勉強したようすが伺えるという解説がある。まさに「ロマリア」である。ジャンプする猫の後ろ脚。飛び立つ鳥。先行の音を鳴らすためにかけた力が、次に鳴らす音のための力となる、バネがびよーんとするような『弾ける』鍵盤楽器の奏法。なでるように演奏できるピアノとはまったく異なる。タイプライターの鍵盤は非常に硬く、『職業病』として腱鞘炎を患う者が多かった。しかし、タイプライターの鍵盤に慣れた者が使いやすいようにと、そこまで硬くする必要のないコンピューターのキーボードも当初は非常に硬いものがわざわざ造られていたのである。打鍵回数が多いためキーを大きくしてある「RETURN」と「スペース」のキーではバネが1個ではなく複数あり、押されたキーが戻るとき、本当にバネがびよーんとする音がした。モダンピアノで弾く「スカルラッティ」とは、まさにこのことである。そして「スカルラッティ」と言えば『なぜか』シチリア島のレモンひいては「レモン電池」を連想してしまう。鍵盤が硬そうというイメージから、実際に硬い銀色のグロッケンいわゆる鉄琴と「レモン電池」の電極の銀色の亜鉛が思い浮かぶとでも言うのだろうか。音を出す仕組みと力の割に出てくる音がショボいとは言わないが、名状しがたい「ピタゴラ」的な何らかの装置の駆動により亜鉛の電極がレモンに突き刺さるとおもむろに風車が弱々しく回るイメージとでも言おうか。まったくわからない。「スカルラッティ」の時代にあっては「楽譜を出版する」という考えがなく、ひたすら王妃のために次から次へと『新曲』を捧げ続けていたにすぎない。いわば「『人間』ピタゴラ」装置である。「スカルラッティ」は鍵盤楽器の付属品である。「信号」としても使われていた「楽器」は『大きな音』を出そうという考えが先にあり、『小さな音』『弱い音』を楽しむようになったのは、時代が相当下ってからのことである。「ピアノフォルテ」とは、強弱を自在につけられるという意味の名前である。ファミコンのサウンドに強弱や音量という概念はなかったが、ファミコンのサウンドにおける「高い音」や「澄んだ音」は『小さく』聞こえ、「低い音」や「濁った音」は『大きく』聞こえるということを利用していたと思う。なお、ICを使用したナショナル(松下電器)のチャイムは「新しい音」「澄んだ音」というコピーがパッケージに刷られていた。いわゆる「ファミマ入店音」や三菱のエレベーターのチャイムが、この音である。「聞き慣れた音」は『小さく』、「聞き慣れない音」は『大きく』聞こえることを利用し、音量を上げなくても注意を引ける音として開発されたようだ。音に敏感な猫に「鈴」をつけるのは虐待だとして一時やり玉に挙げられたことがあったが、慣れてしまえば平気な顔をしているものである。駅の発車メロディーは、多くの人が聞き慣れてしまうと効果が薄れるとして、定期的に異なるメロディーに変更されてきていることが知られている。猫やカラス、それにハトやムクドリなどを追い払うため見慣れない物や音で警戒心を持たせる方法にも通じるところがある。生活の中で非常に多く聞く音は、その音が鳴っていないのに鳴ったと錯覚することすらあるものだ。炊飯が完了したと思いこんでいそいそとしゃもじを握ったら、まだ炊飯中だったということがある。
    (22秒)

  20. 名付けて『ロマリアのテーマ』(変ホ長調:アレグロ・モデラート)
    「アリアハン」のお城が古びた感じであるとしたら「ロマリア」のお城は最新鋭でピカピカというイメージだ。「豪華絢爛」とは異なる。新しくてきれいというだけだ。大阪城にはエレベーターを設置しよう。ベートーヴェンの死後に出版された「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO 38」は作曲の経緯が不明で楽譜の草稿が散逸しているとされるが、出生地のボンからウィーンに出る直前に書かれたという説を信用すれば20~21歳での作品ということになる。今後の研究で「ベートーヴェン」の作品であることが否定される可能性がないとも言い切れないが、今日まで多くの演奏家がレパートリーとしてきた人気の曲で、その一部を短く聞くだけで曲全体の印象が浮かんでくるという一種の時短効果が期待できる。なお、ドラクエ3の「ロマリア」の印象を描くという目的に対して弦楽器の「優美さ」は余計である。あたかもピアノだけで演奏されているかのように頭の中で変換して聴くか、演奏のうちピアノだけを聴くといった少し器用なことをしていただく必要はある。繰り返す。大阪城にはエレベーターを設置する必要があったのである。大阪城の見学は時短で済ませ、より多くの金を周辺の商店街に落としていただく必要があったのである。HD-2D版の「ロマリア」のお城には「やりすぎ」の感があり、一言で言えば趣味が悪い。
    (39秒)

  21. 名付けて『ロマリアの王のテーマ』(ニ長調)
    新しい物好き、おもしろいもの好きで、少し『やんちゃ』な感じを表現しよう。道は真ん中を歩き、トイレは真ん中を使う。「12のメヌエット」は未公表の新曲として宮廷舞踏会で披露された。その最初の曲に向けられる期待のまなざしに応えるべく作曲されているのであるから、まさに「ロマリアの王」のような新しい物好きを満足させるに違いないだろうし、そのような「ロマリアの王」そのものを描いているかのようだと感じても決して的外れな感想ではないだろう。冒頭の主題は非常にキャッチーなもので、そのまま「ロマリアの王」の「出囃子」になるレベルである。こんな調子の「ロマリアの王」に頼まれごとをされたら無下にはできまい。しかし、ファミコンのドラクエ3では「ロマリアの王」のストーリーを完全に無視して先へ進むことができたのである。「アバカム」の呪文を覚えるまで「スライム」だけを倒し続けて300年とは言わないが、決められたストーリーをなぞるだけがゲームではないのだ。
    (22秒)

  22. 名付けて『シャンパーニの塔のテーマ』(ハ長調:アンダンテ)
    ドラクエ3では「塔」の音楽は1種類きりだが、本来は塔ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。遠足気分が抜けない「16歳」。ナジミの塔に続き、シャンパーニの塔へも「ちょっとおつかい」という感覚しか持たずにのこのこ出かける。なんだ、塔には人間もいるではないか。完全に遠足気分の「16歳」。おみやげは木刀だ。おもちゃの兵隊の行進とも評されるコミカルな「ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 Op. 14, No. 2」の「第2楽章」を『シャンパーニの塔のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「28歳」から「29歳」にかけての作品という。図工の授業で木版画を彫るのに使うのは『彫刻刀』だが「ずこー」「ずっこー」と突き放すように滑る音が堪らない。『絵日記』に「赤いクレヨン」で描いた「おひさま」のもと「ピカソのような顔」で「明後日の方向」とは言わないまでも、あまりにも無責任で野放図な遠足。それが『シャンパーニの塔のテーマ』だ。何しろ「ルイーダの酒場」でわけもわからぬままかき集めてできたパーティー、いつ崩壊してもおかしくないのだ。「攻略」に失敗すると「シャンパーニの塔」が崩落する演出があってもよかった。あるいは「攻略」の方法が1つではなく複数あるという展開でもよかった。なお、決して「シャンパーニ」から「しゅっしゅっぽっぽっ」という音を連想したわけではない。ベートーヴェン「34歳」の年には世界初の蒸気機関車が製作され、「37歳」の年にはイギリスで「馬車鉄道」による旅客輸送が始まっている。「42歳」の年には商業的に成功する蒸気機関車が登場。さらに「51歳」の年にはイギリスで「モノレール」すらも考案されている。ドイツで鉄道が開業したのは1835年。ベートーヴェンは1827年に亡くなっているので、本格的な鉄道の時代を目にすることはなかった。
    (107秒)

  23. 名付けて『ロマリアの犬のテーマ』(変ホ長調)
    おむすびころりん、わんわんわん。「創作主題による14の変奏曲 変ホ長調 Op. 44 (ピアノ三重奏曲第10番)」の一部を『ロマリアの犬のテーマ』として聴く。
    (6秒)

  24. 名付けて『予想屋のテーマ』(ニ長調)
    すべての沙汰は金次第。調子のいいことを言う「予想屋」を軽快に表現しよう。「12のメヌエット」の1番目。『ロマリア王のテーマ』と共通。ファミコンのドラクエ3の「かくとうじょう」のセリフにある「ずばり」という言葉は、当時流行していたクイズ番組のタイトルや司会者の決め台詞によく使われていた。ずばり「ズバリ!当てましょう」は、フジテレビで1982年まで放映されていた番組で、バンドの生演奏を聴いて曲名を当てる出題形式の元祖的存在。ナショナル(松下電器)の1社提供で製作費が潤沢であった(と思われる)この番組の音楽面は「服部克久」が支えていたようだ。まさに音楽は金次第とはこのことである。初期の炊飯器はアラームも何もなく、一定時間の加熱が終了すればレバーが「ガチャン」と戻るだけの原始的なものだった。その後の家電に『音楽という名の新機能』が搭載されていくに際し、このような番組を通じて音楽関係者とのつながりが築かれていったのであろうか。「すぎやまこういち」は出遅れたので家電ではなくファミコンの作曲家になったのだとも言える。家電と玩具は紙一重とは、このことを言ったものである。いまでこそ家庭用ゲーム機は「電気製品」の扱いだが、ファミコンは「玩具」として販売されていた。ヨドバシカメラが本当に新宿西口くらいにしかなく、まだ「家電量販店」と呼ばれていなかった時代。「商店街の八百屋」「商店街の魚屋」「商店街の肉屋」に代わって『主婦の店』ダイエーに代表される「スーパーマーケット」が定着していったのが1970年代で、さらに「ナショナルのお店」「商店街のおもちゃ屋」「住宅街の模型屋」をも大手GMSが代替していった1980年代にあって、例えばイトーヨーカドーのおもちゃ売り場でファミコンとレゴとミニ四駆が並んでいたのである。反対側の棚は人形の家とままごとセットとぬいぐるみ。「ゲームセンター」と「殴り合いのケンカ」のイメージが付きまとっていたファミコン、それに「熱い漫画」とセットで楽しむものとされていたミニ四駆はともかく、レゴは紙一重で「男児向け」の棚に置かれていた。一方、当時のヨドバシカメラは単なる「安売り店」としか認識されておらず、『駅の前』の複数の雑居ビルに売り場が点在し「大型電器店」という業態でもなかった。1988年の「ドラクエ3」の発売日に新宿西口の店で行列というニュースは、実は早稲田など新宿界隈の『名門』附属校や男子校、新宿に集積していた専門学校で先輩後輩関係を通じて『動員』されたものだった疑いがある。学生はともかく、当時の「ふつう」の少年に、わざわざ電車賃を使って新宿西口まで来るという購買行動はあり得ない。もともと新宿西口で途中下車できる通学定期券を持たされている私立学校の『おぼっちゃま』でもなければ、あんな行列に加わるなどできないのだ。まさに行列は金次第、そして私立学校は金次第である。なお、「住宅街の模型屋」とは学校に教材を納品する業者でもあるため、商店街ではなく住宅街にあった。ファミコンは「テレビゲーム」とも呼ばれていたので『テレビの呪縛』とでも言うべき変な意識に支配されたところがあり、セリフの端々で特定のテレビ番組をにおわせる表現が非常に多かった。「桃太郎伝説」の「なー ほー ざ ワールド!!」も有名である。現代っ子にとって意味不明なのはもちろん、当時の子どもにすら意味不明であった。ちっともおもしろいものではなかった。『テレビの真似』など他愛のないものだと済ませることはできず、現在は詐欺的な広告やSNS上のデマ、フェイクニュースという形で深刻化している。ただ、こうしたものは受け手がテレビをたくさん見ていることが前提になっている。テレビなど見ない人のほうが多くなれば効果はない。あるいは、それでもテレビばかり見ている人(騙しやすそうな人)をあぶりだすフィルターとして効果を持つこととなる。先人たちの賢明な研究により、ドラクエ3の「予想屋」が言う『予想』は完全にランダム、つまり「まったくのデタラメ」だということが明らかになっている。「予想屋」に金を払ってしまう人というのは、相当に危うい。おみやげに木刀など買っている場合ではない。
    (21秒)

  25. 名付けて『宿屋のテーマ』(変ホ長調)
    宿屋に泊まる前に、その宿屋を品定めする感じで。絨毯なのか板張りなのか。板はきしまないか。床を気にして歩くイメージ。はやく靴を脱ぎたい。「創作主題による14の変奏曲 変ホ長調 Op. 44 (ピアノ三重奏曲第10番)」の一部を『宿屋のテーマ』として聴く。
    (26秒)

  26. 名付けて『兵舎のテーマ』(変ホ長調:アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ)
    見張り台のラッパ手。アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。王の兵は装備もメシも違う。違いがわかる人のアレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。さらに予備の装備がズラリと並ぶ。これぞ「兵舎」。このアレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェが、すごい。「16歳」はお呼びでない。ゴクリ。サントリーは山崎のこと。「七重奏曲 変ホ長調 Op. 20」から、スケルツォの「第5楽章」を『兵舎のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「29歳」から「30歳」にかけて作曲され、楽譜が出版される前から海賊版が出回ったとも伝わる。1万人のサントリー。あまりの『大衆的』人気ぶりに、流石のルートヴィヒも「もう勘弁してくれ」とばかり逃げ出したとか。アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェをオンザロックで。およそ四半世紀の後、「27歳」のシューベルトはベートーヴェンの向こうを張って『八重奏曲』を書いたという。若気の至り。プライスレス。
    (32秒)

  27. 名付けて『武器と防具の店のテーマ』(変ホ長調:アレグロ)
    プレイヤーのわたしたちは「武器と防具の店」というものに実感を持たない。わたしたちが実感を持つもので代わりにするとすれば、少し高い買い物、腕時計くらいのものを慎重に選んで買う感じだろうか。新宿西口の家電量販店でもいい。1ドル=100円。1ゴールド=100円。おそるおそる入店するが、すぐ品物に夢中になる。「ほしい」が「ぜんぶある」。大リーグはBS。なるほどスポーツ用品のイメージでもよかった。ただ「武器と防具の店」には「宝石店でケースから出してもらう」くらいの緊張感があるのではないか。1ドル=100円。1ゴールド=100円。「16歳」には手が出ない品だらけ。むしろ「学校の課題で工芸品をスケッチしないといけないのだが」と開き直ればいい。こんなときは笑えばいいと思うよ。「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO 38」は、ベートーヴェン「20歳」の作品とも伝えられる。ピアノ三重奏曲でありながら主にピアノだけで曲を引っ張っていくところに未熟さがあると解説される。「武器と防具の店」でいちばん高い武器を買うばかりがドラクエ3ではない。「ルカニ」や「ニフラム」の呪文を活かせるようになりたい。特定の防具には「守備力」が低くても「特殊効果」があったりもする。新宿西口の家電量販店でもいいが、「武器と防具の店」で問われるのは「攻撃力」や「守備力」の数字だけに目を奪われるのでなく、パーティー全体の能力を総合的に高めることができるかということなのだ。何のためにパーティーを組んでいるのか。繰り返す。パーティーとは何か。そしてピアノ三重奏曲をや。「ドラゴンクエスト」シリーズではファミコンのドラクエ4から「AI(人工知能)」と称して主人公以外のキャラクターが戦闘中のコマンドを自動選択するようになっている。ドラクエ3でもリメイク版では「AI(人工知能)」が使える。まさに新宿西口の家電量販店でもいいが、「AI(人工知能)」が使えるからと言って「AI(人工知能)」に溺れるのはいかがなものか。「武器と防具の店」で何も買わずに出てくる。プライスレス。
    (31秒)

  28. 名付けて『アッサラーム地方のテーマ』(ヘ長調:プレスト)
    「ロマリア」を発ち、なんと東の橋を渡る「16歳」。ほうほうのていで「あばれザル」から逃げて、逃げて、逃げ続ける。運が良ければ「アッサラーム」に着いてると思うよ。プレスト。これだから『最近の若者』は…といわんばかりにHD-2D版では「ロマリア街道」が追加されて丁寧な道案内が付いた。マラソンや駅伝でコースを間違える選手がときどきいる。「16歳」ゆえの無謀さで「アッサラーム」にほうほうのていで着くのも味があったので、よしあしである。「アリアハン」からは時計回りで進んだのだから「ロマリア」からも時計回りで進んで何が悪い。「ピアノ・ソナタ第6番 ヘ長調 Op. 10, No. 2」の「第3楽章」を『アッサラーム地方のテーマ』として聴く。ハイドンでありバッハであるがベートーヴェンであると解説される。なるほどハイドンでありバッハであるがベートーヴェンである。ほうほうのていで「28歳」のベートーヴェンである。プレスト。自分は演奏が上手いんだぞとばかり速すぎる演奏になってはいけないと釘をさす注釈がある。「ロマリア」から北へ向かわず東の橋を渡った「16歳」には耳が痛い。ここで聞いたナクソスの音源では、少し、少~し、速いのではないかなと思わないでもない。ゴリラは時速40キロで走れるという。分子進化時計ではヒト属とゴリラ属の分岐が656万±26万年前に起きたと推定されるらしい。
    (139秒)

  29. 名付けて『アッサラームのテーマ』(ニ長調:アレグロ)
    見たことのない野菜や果物に歓声を上げる、いかにも「市場」のイメージ。土と砂の町。ウマではない生き物に曳かれた荷車。見事な絨毯。「セレナード ニ長調 Op. 8」から、行進曲の「第1楽章」を『アッサラームのテーマ』として聴く。「トルコ行進曲」ではない。決して「トルコ行進曲」ではない。「トルコ行進曲」がこんなに明るいはずがない。つまり、それほどにも明るいということに尽きる。見たことのない野菜や果物。(ガラス質の砂のせいかも知れないが)きらきらした町。歓声を上げないほうがおかしい。商人の馬車が隊列を組んで進む。つい今しがたも馬車の出入りがあったようだ。この間2分30秒間隔。「行進」とは軍隊だけのものではないのだ。ドラクエ4では主人公たち以外のパーティーと遭遇する場面があるが、それをドラクエ3でやるなら「アッサラーム」をおいて他にあるまい。
    (33秒)

  30. 名付けて『アッサラームの猫のテーマ』(ニ長調)
    カギのかかった扉に、水。これは水道施設である。具体的には「カナート(Qanat)」と呼ばれる古代ペルシャの地下用水路に一定間隔で設けられた管理用の竪坑である。水道とは、常に水を満たしておくことにより、水が運ばれ続けるというシステムである。2階の高さに水を溜め、市内に配水する。あふれた水は次の配水地点へと流れてゆくので、ここで汚染されることがあってはならない。そして猫。(※意味深)そこに水があるというのが、どうやってわかるのか。何も考えずに高い所に上がったら水があったというのか。水道施設に猫の侵入を許すとはどういうことかと小一時間ぶつぶつ言いながらも疫学的なリスクはない。猫を見かけたら無条件で愛でるべし。噛まれても嬉し。がりがり。飼い猫のエサと水を並べて置いても、エサを食べた後、家中を「左手法」でぐるっと歩いてから水を飲む。獲物の殺生と肉食は『下流』で行ない、水は『上流』で飲む。高い所を目指せば飲める水があるはずだ。吾輩のDNAが、そう言っている。高い所に上がってみて「水面」のようなものがあれば、それが天ぷら油だろうと躊躇なく飲もうとする。繰り返す。猫を飼うなら天ぷらはあきらめることだ。…猫を飼うってのは、そんなに甘いもんじゃねぇってことさ!(※ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)ベートーヴェン「25歳」から「27歳」にかけての作と伝わる「セレナード ニ長調 Op. 8」から、ニ長調のメヌエットを『アッサラームの猫のテーマ』として聴く。ガラガラヘビとは言わないが、乾燥した気候の「アッサラーム」で鳴き続けたせいだろうか、実にガラガラした鳴き声の猫がいたものだ。ただならぬ猫である。この『アッサラームの猫』である。名前があるかないかは知らない。ぼちゃん。不可思議の太平。デイリーカナートイズミヤ。後半へ続く。
    (5秒)

  31. 名付けて『カザーブのテーマ』(変ロ長調)
    ドラクエ3では「村」の音楽は1種類きりだが、本来は村ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。ストラヴィンスキーの「ロシア風スケルツォ」とボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」の中間のイメージで。「村」というよりは「町」であるし、「ロマリア」とは「国」が違う。しかし「ロシア」そのものでもない。あくまで「ロシア風」の混ざった「中央アジア」である。このあたりを描くことにおいて「ベートーヴェン」には「地の利」がある。フランスの作曲家はあまり目を向けない方角だと言えるだろう。「12のドイツ舞曲 WoO 13」を『カザーブのテーマ』として聴く。ロシア帝国の時代にロシアに移住したドイツ人の子孫がカザフスタンに移住しており、現在およそ18万人がドイツ語を話すという。「ロシア風」の混ざった「中央アジア」とは、「ドイツ人」だったのだ。
    (63秒)

  32. 名付けて『ノアニール地方のテーマ』(イ長調)
    グリーグっぽい「ベートーヴェン」。「Rondo in A Major, WoO 49」を『ノアニール地方のテーマ』として聴く。フィヨルドと雪解け水。そして森。かの有名な村上春樹ならずともうんざりするほどの森である。ドイツにも「黒い森」があるので「ベートーヴェン」にグリーグっぽい曲があるのだ。森の深さを感じさせる音色で。ソフトペダル。布や紙を挟む演奏者もいるとかいないとか。ありがちな童話の絵本の「森」の場面で「広葉樹」が描かれている場合があるが、やはり「針葉樹」だろう。「針葉樹」のポロポロした感じを表現しよう。
    (34秒)

  33. 名付けて『地底湖のテーマ』(変ホ長調)
    ドラクエ3では「洞窟」の音楽は1種類きりだが、本来は洞窟ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「ノアニール」の西の洞窟は鍾乳洞。寒さで手足の感覚がなくなるようすを表現しよう。そして最深部の地底湖。灰色の脳細胞の出番の予感。『そんなつもり』はなかったのに濡れた岩場で滑ってということも、あるいは。「創作主題による14の変奏曲 変ホ長調 Op. 44 (ピアノ三重奏曲第10番)」の一部を『地底湖のテーマ』として聴く。
    (44秒)

  34. 名付けて『ノアニールのテーマ』(ハ短調:アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ)
    ドラクエ3では「村」の音楽は1種類きりだが、本来は村ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」の「第2楽章」を『ノアニールのテーマ』として聴く。「目覚めても眠い感じ」を眠そうに表現しよう。アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ。なんならもう少し寝よう。アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ。ふとんは呼んでいる。呼ばれた気がして…。アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ。このアンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニがすごい。…ほら、その、なんとかいう、ソニーのデジカメのレンズ。アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニがとまらない。
    (28秒)

  35. 名付けて『ほこらのテーマ』(ニ長調)
    ドラクエ5の「チゾット」の「老婆が包丁を研ぐ音」…ではなく、「ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op. 28」の「第2楽章」を『ほこらのテーマ』として聴く。飄々とした感じ、中立な感じ、道すがらという途中の感じを表現しよう。路線バスの旅ではない。繰り返す。決して路線バスの旅ではない。ほこら・せんせいしょん。引率の先生もパーキングエリアでは『休憩』だ。手をハンカチで拭きながら出てきたところでタイミングよくパインアメ。ありがたや。開いててよかったセブンイレブン。おでん缶は秋葉原、ドラクエは新宿、サントリーは烏龍茶のこと。おしぼりで顔を拭いてはいけない。
    (28秒)

  36. 名付けて『イシスの女王のテーマ』(イ長調)
    ハリウッド女優が演じるハリウッド映画の「イシスの女王」になってしまったが悪くない。むしろいい。レッドカーペットいわゆる赤絨毯でトロフィーを掲げてみせるイメージで。…って、レッドカーペットはどこだ。レッドカーペットを探せ! 『レッドカーペットのテーマ』と呼んでもよい。なあにかえって汎用性が出る。「12のメヌエット」から「第6楽章」。第6話で唐突に登場する新キャラとは言わないが、舞踏会で最も目を引く人物の登場である。あるいは『子役』は「20時」まで。19時半に出てきて、2分にも満たない出番で、すぐに帰るのだ。ハイビジョンのための厚手のメイクを落とし、衣装を返す時間も込みで「20時」まで。問題ない。
    (44秒)

  37. 名付けて『イシスのテーマ』(ニ短調:アンダンテ)
    お城の外は砂漠の町。人々は屋内にいるので人通りはない。人通りはないが置かれた道具や道端で休むウシならざる生き物が活気を感じさせる。日が落ちるといっせいに人が繰り出してきて待ってましたとばかりに飲み食いを始める。断食の月であったのだなあ。ドラクエ3の「イシス」の情景がそこまで詳しく描かれているわけではないが、わたしたちはゲーム以前に持っている事前知識により「砂漠の町」の詳しいイメージを思い浮かべながら「イシス」を見ることになる。「ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op. 28」の「第2楽章」を『イシスのテーマ』として聴く。同じ曲の冒頭部分は『ほこらのテーマ』、それに続く部分を『まんまるボタンのテーマ』としても聴く。曲全体に通底するのは「道の半ば」「道端」のイメージである。まさに「田園」の極みである。ドラクエ3の「イシス」は砂漠であり「田園」そのもののイメージとは直結しないが、砂漠を移動する行程の「半ば」というイメージとしてぴったりである。「道端」という曲想が「オアシスのほとり」というイメージともつながる。
    (89秒)

  38. 名付けて『イシスの猫のテーマ』(変ホ長調:アレグロ)
    そして猫。(※意味深)猫を見かけたら無条件で愛でるべし。いいことありそう。「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO 38」の「第3楽章」を『イシスの猫のテーマ』として聴く。そら、右足と左足に、それぞれ数匹ずつの猫がすり寄ってきたではないか。…すり寄ってきたではないかっ! そら、ごろごろごろごろごろ…。「岩合光昭」の「いい子だねー」とは、まさにこのことである。イエネコのDNAである…と言いたいところだが(言いたいところだが!)、イエネコの歴史はDNAではわからず、米国ナショナル ジオグラフィック協会が資金を提供した最新の研究で、放射性炭素年代測定とゲノム解析により初めて「わずか2000年前」、中東ではなく北アフリカのチュニジアに生息するヤマネコに近いと判明したという。古代の遺跡から遺跡と同年代のネコの骨が見つかることもあるが、人に飼われていたわけではなさそうなものが多いともいう。きっと祭壇の供物を失敬し、水を飲み、乾いたところで寝るだけだったのだろう。
    (20秒)

  39. 名付けて『まんまるボタンのテーマ』(ニ短調:アンダンテ)
    いわば『わらべうたのテーマ』だが「わらべうた」そのものではない。お城でもダンジョンでも「わらべうた」の場面で共通して聞きたい。まんなか通るはケンタッキー。池袋の東武と西武。そしてホテルメトロポリタン。あの「わらべうた」が教えてくれたことをここで使うのかとわかるように。「ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op. 28」の「第2楽章」を『まんまるボタンのテーマ』として聴く。『ほこらのテーマ』『イシスのテーマ』と共通。エレベーターのボタンは丸いか四角いか。こっちのボタンは、まあるいぞ。こっちって、どっちだよ。だから、こっちだよ。地元の子どもが「道端」で何かを歌っているのだ。しかし、ドラクエ3の「イシス」では「わらべうた」を歌う子どもが『なぜか』道端ではなく、お城の2階の女王の間の脇の小部屋にいるのだ。スズメの子を犬君が逃がしつる。デイリーの日配。レジの横にガムと電池。モランボンは精肉売り場に。「RPG」に不慣れなプレイヤーのため、しかたがない。
    (47秒)

  40. 名付けて『ピラミッドのテーマ』(ト長調:アレグロ)
    ハリウッド映画というよりマイクロソフトのゲームを無理やり実写化したテレビシリーズのイメージ。いかにもな仕掛けで大きな玉に追いかけられるのだ。しかし、さすがはピラミッド。随所の装飾は一級品だ。見とれていると落とし穴に落ちる。それも含めての「ピラミッド」なのだ。ドラクエ4では「トルネコ」が大きな玉に追いかけられる。容量さえあればドラクエ3でも大きな玉に追いかけられる仕掛けは作りたかったはずだ。「ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 Op. 14, No. 2」の「第1楽章」を『ピラミッドのテーマ』として聴く。ベートーヴェン「29歳」の年に出版された。その主題は「歌謡的」とも「男女の対話」とも解説される。…ドラクエ4では「おべんとう」を高く売ってみせよう!
    (69秒)

  41. 名付けて『イシスの女王の寝室のテーマ』(ハ短調:プレスティッシモ)
    小声で「しつれいしまーす…」抜き足差し足のイメージ。消灯後も引率の先生は休みではないのだ。「イシスの女王の寝室」は修学旅行の宿の先生方の部屋なのだ。あるいは子どもに本を読み聞かせていた大人が居眠りしてしまい子どもに起こされて本の続きをせがまれる感じといったほうがよいだろうか。ドラクエ3の「イシス」は、物語への集中が途切れるポイントになっている気がする。物語を最速で進めても、ちょうど40分くらいのところなのだろう。ぜひ「イシス」で『休憩』してほしい。ここまで1度も「ぼうけんのしょ」に記録していない人は、さすがに「イシス」では記録してほしい。「ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op. 10, No. 1」の「第3楽章」から、変ホ長調で提示される「第2主題」を『イシスの女王の寝室のテーマ』として聴く。さらに再現部では「第2主題」がハ長調で出てくる。ベートーヴェン「28歳」。海外では「悲愴」との対比で「小悲愴」という愛称があるというのには深く頷けるが、日本語で「小なになに」と呼んでしまうと、つまらないものや取るに足らないものだと言ってけなすニュアンスになってしまう。日本語でも『リトル悲愴』あるいは「ミニ悲愴」「プチ悲愴」と呼んでみてはどうか。とまれ「マルエツプチ」であり「ミニストップ」である。1回休み。
    (28秒)

  42. 名付けて『ポルトガのテーマ』(変ホ長調:アレグロ・コン・ブリオ)
    ここは港町。城下町である以前に港町。王の旗を掲げた立派な帆船と高そうな酒瓶と美しいダンス。学生がマントを羽織って楽器を弾く。海賊ではないので樽ではなく瓶だ。それって「ボトルシップ」のイメージに毒されていないか。「ポルトガ」というカタカナと「ボトルシップ」というカタカナの差分は小さい。マグロ・ブリ・昆布…気のせいだ! 問題ない。「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」の「第1楽章」を『ポルトガのテーマ』として聴く。海軍力で名を馳せるイギリスとの浅からぬ因縁があるといい「船」や「港町の労働者」を思わせる。シンコペーション。「フェイント」と言ってもいい。なるほど「フェイント」と言えばポルトガルだ。問題ない。
    (51秒)

  43. 名付けて『ノルドのテーマ』(ヘ長調)
    名前のある登場人物シリーズ。オリジナルのファミコン版では「ドワーフ」ではなく「ホビット」だったので、あくまで「ホビット」のイメージで。「王の友人」という身分や品格を表現しよう。「12のドイツ舞曲 WoO 8」の「第9番」を『ノルドのテーマ』として聴く。ベートーヴェン「25歳」の作品。平野昭の解説によれば、大小の舞踏会があるうち「小」のほうをベートーヴェンが「無償で」担当したという。会議は踊っても踊らされるなとはよく言ったものである。「新人」とは何歳までを言い、「若手」とは何歳までを言うのだろう。まったくわからない。「厳格なメヌエット」ではなく「民謡調」で「親しみやすい」という。この「民謡調」というところから、オーケストラでなくピアノでもよいのではないか(むしろよいのではないか)という気がしてくる。これからは「ベートーヴェン」の『第9』といえば「12のドイツ舞曲 WoO 8」の「第9番」を思い浮かべてほしい。…「ピアノ」で!
    (33秒)

  44. 名付けて『バハラタのテーマ』(ハ短調:プレスティッシモ)
    アイテムの「せいすい」と同じ効果があるともないともいう清らかな川の流れを表現して。ぶら下げて乾燥させているいろいろな香辛料がサラサラと揺れるイメージで。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」のフィナーレ「第4楽章」を『バハラタのテーマ』として聴く。『サマンオサのテーマ』『オリビアのテーマ』と共通。往時は「インド人もびっくり」という表現が平気で使われていた。詳しい経緯については読売テレビの道浦アナウンサーが「シャルマさんの話」としてまとめている。ファミコンの「ドラゴンクエスト」から「ドラクエ3」までの年代には、世間知らずな大学生を騙すような形で「曼荼羅」や「ヨガ」のブームが仕掛けられていた疑いがある。未だにニコニコ動画などで「インド人」や「ブラジル人」をからかうような表現があるが、これは許されないことである。インドには多様な民族そして宗教が渦巻いており、日本語で「インド人」と呼ぶような統一的なアイデンティティーなど存在しないと思った方がよい。1988年に発売されたドラクエ3の『黒歴史』は「ハルマゲドン」という言葉を広告に使っていたこと。せっかく大学生になったというのに大学の一般教養科目をバカにしながら自分勝手に「曼荼羅」や「ヨガ」に傾倒し、サンスクリット語の言葉を面白半分で放つ。これがどれだけとんでもないことだったのかは、その後の1990年代前半に痛いほど痛感させられたはずだ。「最終兵器おかん」とはよく言ったものだが(言わなかったかもしれないが)、大学の近くに下宿し(ある意味では近すぎるがゆえ通うのが面倒になり)大学をサボる大学生は誰にも叱ってもらえない。おだてればいくらでも木に登り、白装束で真っ白なパソコンを売り、何も考えずに毒ガスすら製造してしまう。「バカな大学生がバカなことをしている」では済まなくなった。1995年に発売されたドラクエ6は、その“罪滅ぼし”のようなシナリオになっている。その後の「ドラクエ7」以降とは間隔も空いたことで、「ドラゴンクエスト」シリーズは「ドラクエ6」で1度“終わっている”という感覚がある。HD-2D版による『リメイク』が漫然と「ドラクエ6」まで進むようでは、本当に“終わって”いるとしか言いようがなくなる。もっとも「宮沢賢治」をしてエスペラント語の“沼”にハマるという『黒歴史』は、あった。ドラクエ3の広告に「ハルマゲドン」などと書いた人物も、本人の自画像としては「宮沢賢治」のように『文学』を探究しているつもりであったに違いないのだ。
    (14秒)

  45. 名付けて『ムオルのテーマ』(変ホ長調:アンダンテ)
    「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」の「第2楽章」を『ムオルのテーマ』として聴く。『生家のテーマ』と共通。知らない村のはずなのに懐かしく感じるという場面を表現しよう。「ムオル」なくして「ドラゴンクエスト」なし。「ムオル」なくして「ドラゴンクエスト」なし! …「ムオル」なくして「ドラゴンクエスト」なし!! ベートーヴェンによく似た顔立ちのわれらが郵政大臣、高い所に上って白い布をかぶせたマイクで放つ決め台詞。別の日や別の場所でも、まったく同じ台詞。テレビでは時代劇のように編集して、同じ台詞を角度を変えて3回、つごう3回ほど、まったく同じ台詞を聞かせる。令和の時代にいまさらテレ玉で再放送の八雲とは言わないまでも、『3匹が斬られる!』とは、よく言ったものである。「斬られる」シーンは角度を変えて3回、同じ演技をするのである。要するに「ドラゴンクエスト」が「ドラクエ3」まで3回も続いた原動力、「ドラゴンクエスト」が「ドラゴン」である理由が「ムオル」にある。中央アジアの遊牧民の神話に由来する「ドラゴン」というモチーフは「アムール川」による交易を経てアイヌの地にもたらされた。繰り返す。「ドラゴン」をモチーフにした「ドラゴンクエスト」という作品は「鳥山明」の漫画の焼き直しでもあるかも知れないが、それだけでは「ドラゴンクエスト」というゲームが「3部作」として堂々完成するには至らない。これは先行作品「オホーツクに消ゆ」のロケハンの成果の再利用である。日本から見ての「ドラゴン」とは1にアイヌであり、2に樺太であり、3に間宮海峡であり、98までなくて、99が探検家を装った事実上のスパイ「間宮林蔵」なのだ。ドラクエ3に『季節』はないが、「ムオル」は寒そうに描かれる。鮭と昆布。踊る鰹節。そう、暖炉のイメージだ。薪の焚き付けであれ川魚であれ、火にくべたものは火が通るにつれ「くねくね」と踊る。「勇者」とは何か。どこから来て、どこへ行くのか。能登半島を舞台にしたアニメが放映されるや能登半島に馳せ参じてみせるだけが「勇者」ではないはずだ。真の「勇者」たるもの伊豆半島某所に宿を取りバナナを食べてワニの夢を見ようではないか。
    (68秒)

  46. 名付けて『ポポタのテーマ』(ハ短調:アレグロ・コン・ブリオ)
    名前のある登場人物シリーズ。「北前船」がもたらした鮭とツナマヨに昆布。そして水鉄砲。アムール川が凍っていない時期だけの遊びだ。たぶん。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」の「第1楽章」を『ポポタのテーマ』として聴く。
    (22秒)

  47. 名付けて『幼少期の回想のテーマ』(ハ短調:アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ)
    どこにでもあるふつうの「幼少期の回想」。最近の作品では「幼少期の回想」という脚本用語のようなものを登場人物がセリフとして言い放つ。あまつさえ「格助詞の使い方」などという文法用語のようなものを登場人物がセリフとして言い放つ作品さえあるので驚いてはいけない。スズメの子を犬君が逃がしつる。高貴な人物の子であれば「幼少のみぎり」と言う。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」の「第2楽章」を『幼少期の回想のテーマ』として聴く。『ノアニールのテーマ』『オルテガのテーマ』と共通。
    (58秒)

  48. 名付けて『オルテガのテーマ』(ハ短調:アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ)
    名前のある登場人物シリーズ。ドラクエ5の「パパス」とは異なるが、「最近のオルテガ」は『パパス化』しつつある。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」の「第2楽章」を『オルテガのテーマ』として聴く。『幼少期の回想のテーマ』『ノアニールのテーマ』と共通。
    (68秒)

  49. 名付けて『カンダタのテーマ』(ハ短調:クアジ・アレグロ)
    名前のある登場人物シリーズ。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」から。『そのとき』の「カンダタ」の心の内に分け入ってみよう。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」の「第3楽章」を『カンダタのテーマ』として聴く。
    (22秒)

  50. 名付けて『グプタのテーマ』(ハ長調)
    名前のある登場人物シリーズ。人の話を聞かない人のイメージを余すことなく表現しきろう。この「グプタ」にして、あの「タニア」あり。「12のメヌエット」の11番目。「グプイチ」兄さん、「グプジ」兄さん、「グプゾー」兄さん。対する「グプタ」の『末っ子』感よ。冒頭からの数を数えるような下降の先に、数えるのはやめだやめだといった感じの展開。「グプタ」とは、数えることを放棄した名前なのだ。
    (10秒)

  51. 名付けて『タニアのテーマ』(ハ短調:クアジ・アレグロ)
    名前のある登場人物シリーズ。なぜか頭の上にカッコウの巣を載せた(ように見える頭巾を被り)非常におめでたいイメージで。この「タニア」にして、あの「グプタ」あり。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」の「第3楽章」を『タニアのテーマ』として聴く。
    (36秒)

  52. 名付けて『ポルトガの王のテーマ』(ハ長調)
    投機目的でなく本当に『それ』がほしかっただけなのだ(余は満足じゃ!)という満足感を表現しよう。次にお城を訪れたときには玉座におらず、ずっと「台所」にいたりして。「Rondo in C Major, Op. 51, No. 1」は、日本語では「2つのロンド」の「第1曲」と紹介され、ベートーヴェン「26歳」から「27歳」にかけての作。「30歳」の年に完成した「第2曲」と合わせ「32歳」の年に出版された。その「第2曲」を誰に献呈するのかでひと悶着あった後、「第1曲」と合わせての出版となった。現代で言えば教科書に載ったユーミンやサザンオールスターズが勲章をもらっているように、作曲家の関心は献呈の相手に恵まれるかどうかという狭い1点にあった。レジの横に募金箱。牛のゲップは地球を救うのか滅ぼすのか。答えのない問いに延々と拘泥してこそ貴族である。禅問答はたしなみである。大学では雄弁だけを競っていればよい。勉強などしなくても大臣になれる。「第1曲」は、特に献呈の予定がない気楽なスケッチであったのだろうか。ぽっぽっぽっぽっぽっぽっぽっぽっぽっ、ぽっぽっぽっぽっぽっぽっぽっぽっぽっ、と、目の前で計18輪の花が開きそうな音が続く。たこ焼きでビルが建つ大阪。人生はバラ色で、大阪は自分の庭である。俗に言う「食い倒れ」である。ゆでたタコとジャガイモをオーブンで焼くポルトガル料理があるといい、まさに『ポルトガの王のテーマ』とは『食い倒れのテーマ』に他ならないのであった。ごちそうさま。
    (46秒)

  53. 名付けて『船のテーマ』(ニ長調)
    重々しく走り出す船と、沖に出て快調に進む船とで調子を変えよう。「7つのレントラー WoO 11」は、ベートーヴェン「28歳」の作。「第3曲」と「第4曲」を『船のテーマ』として聴く。「第3曲」の力強さを『出帆』、「第4曲」の安定感を『順風』に見立てた。世界には2種類の人間がおり、タコを見て「うまそう」と思うか「不気味だ」と思うかに分かれる。ポルトガルは前者の人間が多い国だったからこそ大航海時代に躍進したのだろう。ただし「レントラー」は南ドイツの山岳地帯に伝わる農民の民族舞踊。海辺の音楽ではないことは留意の上、農民ならでは力強さを味わいながら「船」の力強さに転化させよう。ドイツの「黒い森」を形成する針葉樹「ドイツトウヒ」は弦楽器にもピアノにも使われる。ドイツの「黒い森」はドイツだけのものではないのだ。「南ドイツ」は「ドイツ南部」という意味ではなく、オーストリアとスイスを含む。「ドイツ南部」は「バイエルン」であり、「バイエルン放送協会」と「南西ドイツ放送協会」が別々に存在する。コーヒー豆は『60粒』。伊藤ハムの「アルトバイエルン」とは言わないまでも、「タコさんウインナー」と「ウインナーコーヒー」の違いだけは分かる人でいてほしい。要するに山梨県には海がなく、東京のフジテレビは受信できない。
    (88秒)

  54. 名付けて『アープの塔のテーマ』(イ長調)
    ドラクエ3では「塔」の音楽は1種類きりだが、本来は塔ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。あみだ・くじくじ、あみだ・くじくじ…。ひいて、ひいーて、てんてんてん…。「ピアノ・ソナタ ニ長調「選帝候ソナタ第3番」 WoO 47」から、4分の3拍子のメヌエット「第2楽章」を『アープの塔のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「12歳」から「13歳」にかけて書かれた。ここで聞くナクソスの音源は1989年の録音で、使用楽器について特段の注がないのでモダンピアノなのだろうが、演奏としては作曲当時の「フォルテピアノ」(ハンマークラヴィーア)をよく模しているように感じられる。はっきり言えば、モダンピアノによる「ショパン」や「リスト」を聴き慣れている人には「へたくそ!」「幼稚園じゃあるまいし…」としか思われないのではないかとすら思う。作曲当時の楽器(「ピリオド楽器」)を復元して演奏に使おうという動きは「ワンダ・ランドフスカ」によるチェンバロの復興を皮切りに「バロック音楽」の演奏シーンで広がった。弦楽器については、音楽表現上の要請というよりは一種の“プレミア”(演奏会や演奏者に箔をつけるもの)として製作の年代や職人の名前に関心が持たれた。現代の「パトロン」として、歴史的な楽器の所有者が新進気鋭の演奏家に楽器を貸与するというものである。演奏旅行に際しては楽器の通関にかかる費用を負担するということである。楽器には保険がかけられているほか、そもそも保険会社が所有者であったりする。持ち運び可能な楽器は、いたってふつうの「動産」として、ふつうの保険の考えで取り扱える(事故の統計があり保険料を算定できる)ということでもあろう。これに対し、『ベートーヴェン』の演奏に「フォルテピアノ」を使おうという動きは、もう少し後の時代になって本格化する。「ショパン」や「リスト」の名を冠した国際的なコンクールが回を重ね、その手のピアニストが飽和状態に陥ってからの出来事と捉えれば、「フォルテピアノ」を使うということもまた一種の“プレミア”という意味を持ったと言える。2025年、国立音楽大学は記念事業の一環でフォルテピアノを新規に製作したという。今まで聞かされていた『ベートーヴェン』は何だったのかと思わせられる新時代は、まさにこれから到来するのであるから、1989年の時点で『廉価盤』のナクソスには無縁な話だったのは当然である。なお、ドラクエ3の発売は1988年である。日本の「山本宣夫」がオーストリア国立芸術史博物館でフォルテピアノの修復に参加したのは1987年である。わかりやすく言えば、ドラクエ3の「マホカンタ」の呪文の音(輪ゴムを弾く「てん…っ」とも「つん…っ」ともいうような音)はモダンピアノでは出せないがフォルテピアノでは出せるのではないかということである。「アープの塔」に挑むころには「マホカンタ」の呪文を覚えようかといったところである。実は、ストーリーを丸暗記していると「アープの塔」は攻略の必要がなく、HD-2D版で久々に「アープの塔」へ足を踏み入れたという『勇者』も多いはずだというのは「ここだけの話」である。
    (69秒)

  55. 名付けて『やまびこのテーマ』(変ホ長調)
    おいしいほうへ。ロッキー山脈で100人のおにぎり。駅前でモデムを配ろう。カリフォルニアロールは寿司の夢を見るか。きょうは変ホ長調で、ほうやれほ。「創作主題による14の変奏曲」から、「第9変奏」を『やまびこのテーマ』として聴く。もっとも、この曲はカール・ディタース・フォン・ディタースドルフのオペラ「赤ずきんちゃん」の主題だというから、差し詰め「赤ずきんちゃん」の代わりに「石」がごろごろという場面の描写に違いないのであった。南無三。
    (12秒)

  56. 名付けて『おかしらのテーマ』(嬰ヘ長調:アレグロ・ヴィヴァーチェ)
    特に用は無くても何度も会いに行きたくなる「おかしら」。レベルは年齢ではないが「20」になったら酒を酌み交わしたい。以後もレベルが「10」上がるごとに違う話ができるとよい。「ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調「テレーゼ」 Op. 78」は、ベートーヴェン「39歳」の作品。翌年に出版され、ベートーヴェンの弟子であった伯爵令嬢テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックに献呈された。「第2楽章」を『おかしらのテーマ』として聴く。「テレーゼ」は教育者としてハンガリーで保育施設を設立。ドイツにおける「フレーベル」の「幼稚園」につながる流れを作った。「エリーゼのために」はベートーヴェンの悪筆により「テレーゼ」が「エリーゼ」と誤読されたものとする説があるという。ドラクエ3の「おかしら」のセリフは、女性連合を創設した「テレーゼ」を彷彿とさせる。実は、そのようなエピソードがあるとはまったく知らないまま曲を聴き「これは『おかしら』だ!」と直感したのであった。
    (20秒)

  57. 名付けて『テドンのテーマ』(ハ長調:ラルゴ)
    食堂の麻婆豆腐。そして宙を舞う肉うどんの食券。1人ずつ「無念」を晴らすのを手伝って『卒業』させてあげよう。クライマックスのステージのシーンではシクラメンの鉢植えを並べ「顔の筋肉」を超リアルに描く。そして誰もいなくなった。ベートーヴェン「27歳」の年に書かれた「ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op. 7」の「第2楽章」を『テドンのテーマ』として聴く。泣く子も黙るハ長調。ザ・ピアノ。休符の威厳。ピアノでは演奏不可能なクレッシェンド。保護者席でビデオカメラが回る。「熱情」よりも「熱情」なピアノソナタとも評され、カルガモみたいな名前とは言わないまでも近所でベートーヴェンのレッスンを受けていた伯爵令嬢「バルバラ」のテーマとも言える。
    (37秒)

  58. 名付けて『ガルナの塔のテーマ』(変ロ長調)
    ドラクエ3では「塔」の音楽は1種類きりだが、本来は塔ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「ベートーヴェン」の『音楽箱』は「底」が知れない。「49歳」の年に出版された「ハンマークラヴィーア」こと「ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op. 106」から、ラルゴの「第4楽章」を『ガルナの塔のテーマ』として聴く。ウン・ポコ・ピウ・ヴィヴァーチェ。プレスティッシモ。アレグロ・リゾルート。「幾分自由な3声のフーガ」そして反行。非常にアカデミックな趣を呈していると解説される。東洋とも西洋ともつかない哲学的な響きを堪能しよう。「さとりのしょ」の中身は、きっと「ハンマークラヴィーア」の楽譜なのだ。ウン・ポコ・ピウ・ヴィヴァーチェがとまらない。
    (102秒)

  59. 名付けて『ダーマの神殿のテーマ』(ニ長調)
    中央アジアから中国にかけての弦楽器をイメージして。馬いるところ弦楽器あり。馬うそつかない。非常に迷ったが「弦楽三重奏曲 ニ長調 Op. 9, No. 2」の「第2楽章」を『ダーマの神殿のテーマ』として聴く。「すぎやまこういち」の「王宮のロンド」が「ダーマの神殿」で流れるのはいただけない。ドラクエ3の「ダーマの神殿」は『無音』でも『声明』でも、なんなら『笛』でもよいと考えるところであるので「ベートーヴェンの音楽箱」を無理に漁ることもないのだが、それでもどことなく「ダーマの神殿」を思わせるということである。冒頭の主題は希望的かつ西洋の城のイメージにすぎるが再現部は異なる趣きを示す。格助詞の使い方しか勝たんとは言わないが、「王宮のロンド」の一部分を中央アジアから中国にかけての弦楽器で“息をするよぅ~…、っに!”弾いた感じ、弦楽器でありながら『声明』のようでもあり『笛』のようでもありといった感じとも言えよう。聴衆に聴かせる『音楽』ではない、神殿や祭壇に捧げる『奏楽』の空気感が出せれば、あるいは。「小悲愴」とも呼ばれるピアノソナタと同時期の作曲と考えられており、ベートーヴェン「26歳」から「28歳」にかけての作品ということになる。ハイドンの交響曲のエッセンスを凝縮した作品で、ベートーヴェンの後年の交響曲を待たずして既に『完成形』を見せていたとも評される。「ハイドン」という名の『完成形』を手本にしたのだから当然だろう。それでもベートーヴェンは「『ハイドン先生』から教わったことは何もない」と豪語したという。なお、HD-2D版の「ダーマの神殿」のグラフィックは「長崎くんち」すぎる。一言で言えば、まったく「ダーマの神殿」のイメージではない。京都の祇園祭もかくやのけたたましい「鳴り物」と浅草寺のような「煙」の中で無心に「ちゃんぽん」を喰らうしかないではないか。グロテスクでシュール。ドラえもんの歯茎。こんな「ダーマの神殿」に、誰がした。
    (18秒)

  60. 名付けて『戦士のテーマ』(変ホ長調)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。どっしりした体格および装備と気品ある風格をイメージ。平野昭によれば、ベートーヴェンの「創作主題による14の変奏曲」の主題がカール・ディタース・フォン・ディタースドルフのオペラ「赤ずきんちゃん」のアリア「さあ、彼女とはお別れだ」であることが20世紀に判明したという。ベートーヴェン「22歳」の年に「さあ、彼女とはお別れだ」(※意味深)。さすが「22歳」である。ドラクエ3においてレベルの数字は年齢ではないが、レベル「20」で転職が可能になり、レベル「40」前後で呪文を覚え終わるなど、あたかも年齢のように感じられるところがある。ドイツの「黒い森」の周辺諸国では「黒い森」の『黒さ』ゆえか「黒い童話」の宝庫である。あるいはドイツ語という言語そのものが『黒い』のかも知れないし、ドイツ語をそのような言語にしたのも「黒い森」なのかも知れない。ピアノとチェロによる「第4変奏」を『戦士のテーマ』として聴く。
    (15秒)

  61. 名付けて『武闘家のテーマ』(変ホ長調)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。すばやく素手で手数が多く常にぴょんぴょんしているイメージ。「創作主題による14の変奏曲」から、ピアノによる「第5変奏」を『武闘家のテーマ』として聴く。
    (12秒)

  62. 名付けて『魔法使いのテーマ』(変ホ長調)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。複数の魔法使いが連携して呪文でたたみかけるイメージ。「創作主題による14の変奏曲」から、ピアノが提示した主題を弦楽器が『反射』する「第9変奏」を『魔法使いのテーマ』として聴く。ドラクエ3ではスーパーファミコン版からダンジョン内での戦闘で呪文の効果音にリバーブがかかるようになった。それまでは考えもしなかったが、あんな狭い所で激しい呪文を使ったり、水のあるところで雷の呪文を使ったりして大丈夫なのかとは思うところである。平野昭の解説では譜面に即してあくまで音楽的に『応答』という言葉で述べているが、『魔法使いのテーマ』として聴くに際しては呪文が響き渡るようすを思い浮かべながら『反射』という言葉で述べたい。なあに英語で言えばどちらも同じ接頭辞の言葉ではないか。かえって「マジカルスカート」または「マホカンタ」の類がはかどる。それにつけても「マホカンタ」のなんともショボい「まほうカッ太ー」といった感じの昭和時代のアイデア商品のようなネーミングであることよ。いわゆる「猫除けグッズ」の商品説明で目を白黒させて逃げ出しているネコのごとく、「遮断」という意味の「カット」にかけて「カッ太」というカエルともコウモリともカッパともムササビともつかないキャラクターが目を白黒させているパッケージしか思いつかない。しかも「マホカンタ」の効果は「遮断」ではなく『反射』なのだ。なんかそういうでたらめな商品のワゴンセールがなぜか駅構内に出てくるのだ。その日しか出てこないのに「本日最終日」などと書いてあるのだ。その場所が駅構内だという信用で買わせてしまうのだ。今にして思えば昭和時代の鉄道会社のしていたことはなかなかに“罪深い”ものよ。
    (22秒)

  63. 名付けて『僧侶のテーマ』(変ホ短調)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。パーティーの仲間の生と死に寄り添うイメージ。「創作主題による14の変奏曲」から、ヴァイオリンとチェロが『対話』するラルゴの「第7変奏」を『僧侶のテーマ』として聴く。
    (20秒)

  64. 名付けて『商人のテーマ』(変ホ長調)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。地道な感じと隊列を組んで進むイメージ。「創作主題による14の変奏曲」から、2分の2拍子でスタッカートの「第8変奏」を『商人のテーマ』として聴く。
    (16秒)

  65. 名付けて『遊び人のテーマ』(変ホ長調)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。遊園地で風船を配るピエロや着ぐるみのイメージ。「創作主題による14の変奏曲」から、全楽器がユニゾンを奏でる「第6変奏」を『遊び人のテーマ』として聴く。職業「遊び人」の「ルックス」が気に入らない人は「ぬいぐるみ」を着せておくとよいのだが、この「ぬいぐるみ」というのが「ほこら」同様におかしな呼び方なのではある。本当に原作のシナリオライターがいけない。人の話を聞かず、他人の家の冷蔵庫を勝手に開ける。あなたの「ぬいぐるみ」という言葉の使い方は間違っているよと教えてあげられる人がいないのだ。「ぬいぐるみ」とは何かということをおそらくは1度も考えたことがないまま現在まで突き進んでいるのであろう。これより本件を「ドラクエほこらぬいぐるみ問題」と呼称する。繰り返す。本件を「ドラクエほこらぬいぐるみ問題」と呼称する。これは決定事項である。異論は認めない。「ジョイフルトレイン」を「のってたのしい列車」、「吟遊詩人」を「たびのしじん」と言い換えるのは正しい判断だが「ほこら」と「ぬいぐるみ」は明確に誤りである。
    (6秒)

  66. 名付けて『寝言のテーマ』(変ロ長調)
    ダーマの宿屋にて。次の日曜。かなうといいね。かなうといいね。…かなうといいねー、てってれぇ~。お茶。ナイッサー、そーれっ! ジパングはきょうも日本晴れ。寝言は寝て言え。だから寝てるってばよ。朝ドラは日曜にまとめて視る。問題ない。「12のメヌエット」の8番目。『台所のテーマ』と共通。ひらり飛び越えて、ゆけっ。
    (22秒)

  67. 名付けて『賢者のテーマ』(イ長調:アレグロ)
    職業別「出囃子」の類として。ルイーダの酒場、レベルアップやモンスターのドロップアイテムや追加のゴールドを手に入れたとき、「つよさ」を表示したとき、転職したとき、アッサラームやランシールで話しかけたときなど。『本棚のテーマ』と共通。天井まである本棚に書物がぎっしり詰まっているのを見上げるイメージ。『なぜか』ベートーヴェンから「ドロテア=チェチーリア」と呼ばれていた弟子でピアニストのドロテア・エルトマン夫人に献呈された「ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op. 101」は、ベートーヴェン「46歳」の作品。とりわけ「第3楽章」は、長いトリル、ポリフォニックな展開、駆け上がるアルペッジョと、『ベートーヴェン』ならではの「自由な展開」が堪能できる。「後期」への橋渡しとなっているという解説が見られるが、現代のポピュラー音楽で言うところの「ブリッジ」や「Bメロ」が延々と続くような気分もしてくる。アレンジ次第では卒業式で泣かせるための歌の『新定番』が作れるだろう。ベートーヴェンよりもベートーヴェンなベートーヴェンのピアニストであろうとしたエルトマン夫人。『ドロテアのテーマ』と呼んでもよかった。
    (44秒)

  68. 名付けて『ランシールの神殿のテーマ』(変ホ長調:アレグロ・コン・ブリオ)
    世界中から血の気の多い自惚れた若者がわらわらと腕試しに集まって来ているイメージ。そこかしこで小競り合いが起きる。問題ない。「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」の「第1楽章」を『ランシールの神殿のテーマ』として聴く。ベートーヴェンが出生地の「ボン」にいたころに作り始めたと考えられている。たくさんのベートーヴェンたちがわらわらと集まったら小競り合いが起きないほうがおかしいのである。誰しも自分だけがベートーヴェンでありたい。犬のギゴンズを撫でてよいのはテレーゼ嬢を差し置いて自分だけだ。ドラクエ3の「勇者」とは、そのようなロールプレイングである。ドラクエがオンラインでマルチプレイになるなんて、とんでもない! マルチプレイがゲームを滅ぼす。「すぎやまこういち」はシングルプレイしかしなかったという。「ならびかえ」で「勇者」以外を先頭にすることもできる。「勇者」抜きで仲間の1人を鍛え上げることができるシステムでもあるのが「ランシールの神殿」である。「鳥山明」の漫画を含め「神殿」というものが「決闘の舞台」や「稽古場」のイメージで捉えられているのは「プロレス」の影響だろう。もっとも、「ランシールの神殿」の入口にずらりと並んだ扉が「競走馬のスターティングゲート」もしくは「動物園の入場ゲート」ひいては「駅の自動改札機のレーン」にしか見えなくて困った。この扉こそが競争心を煽っていると言って過言ではないと思った。どの扉から入るのか、ひいては扉をいくつ開けるのか(2つ目以降は内側からも開けられる!)で「性格」がわかってしまうとも思った。道は真ん中を歩き、トイレは真ん中を使う。ここは「ロマリアの王」に倣い、真ん中の扉から入ってまっすぐ前を見て直進しよう。まっすぐ前を見て階段の真ん中を下りてくれば「エムステ」に見えるとは、よく言ったものである。プレステプレステ。連休明けの通勤ラッシュ。経験値だけでなく内面を仕上げよう。そのような心構えあってこそ「ランシールの神殿」は『神殿』足り得るのだ。なお、犬のギゴンズがベートーヴェンの家までついていった話は1810年ごろで「39歳」。2005年の研究による頭蓋骨片の鉛濃度は長年の慢性的な鉛中毒を裏付けており、これに伴う肝機能の低下で特有の「におい」を発していたであろうベートーヴェンを「守るべき対象」と認識した可能性が考えられる。
    (11秒)

  69. 名付けて『ランシールのテーマ』(変ホ長調:アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ)
    腕試しの神殿に集まる人々を目当てに店ができて町ができたようすをイメージ。あ、アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェは、いらんかえ。腕試しの神殿の申込み方法。腕試しの神殿の集合時間。腕試しの神殿の注意事項。肝試しじゃないぞ。子どもは帰った帰った。同じことを毎日ずっと何回も何回も叫び続ける役の人の声が響く。「七重奏曲 変ホ長調 Op. 20」から、スケルツォの「第5楽章」を『ランシールのテーマ』として聴く。『兵舎のテーマ』と共通。…そこのキミ! いまならアレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ1つで5つ分だぜ。最近の作品の文法で言えば『ギルドのテーマ』『クエスト受注のテーマ』といったところ。専門学校は『Fランク』より強し。問題ない。
    (53秒)

  70. 名付けて『道具屋のテーマ』(変ホ長調:アレグレット)
    道具屋に入ったとき、道具屋に話しかけたとき、お城の宝箱の部屋など。「Hess番号」は、ベートーヴェンの未完の作品や断片のもの、スケッチなどを整理してヴィリー・ヘスが1957年に発表した。「アレグレット 変ホ長調 Hess 48」は、ベートーヴェン「22歳」の年に書かれたとされ、偽作の疑いは薄いとされている。現代のわたしたちは興味深く「Hess 48」を聴くが、そこはやはり断片。いろいろなものが置かれた「道具屋」のような雑然とした感じがするのは否めない。ドラクエ3の「道具屋」は、重装備の鎧兜を装備できない職業のキャラクターのための防具も扱う。きっと「道具屋」自身も行商や仕入れの道程で身に着けるのだろう。ドラクエ3で「街」や「村」のBGMが1種類きりなのはいただけないが、「道具屋」にBGMを用意するなら1種類でよいだろう。ビバ「道具屋」。いわゆるひとつの『フレンドリー』。1ドル=100円。1ゴールド=100円。「道具屋」は世界共通なのだ。リメイク版では「ふくろ」に「やくそう」や「どくけしそう」それに「キメラのつばさ」や「いのりのゆびわ」などをそれぞれ99個まで入れられるようになった。何を隠そう「いのりのゆびわ」を99個いっぱい買えるうちに買っておこうとしてストーリーが進まなくなってしまうのはここだけの話である。日本で「トイレットペーパー」が売り切れるとき、アメリカでは「ひよこ」の買い占めが起きているという。
    (23秒)

  71. 名付けて『道具屋の娘のテーマ』(ニ長調:アレグロ)
    ランシールにて。言葉がたどたどしい。言いたいことだけ、いきなり言う。言い終わったら知らんぷり。「道具屋の娘」ひいては「観光地の土産物屋の娘」は得てしてそういうものである。観光客が使う言葉を最小限しか覚えていないのだ。「ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op. 10, No. 3」はベートーヴェン「28歳」の作品で伯爵夫人に献呈された。「第4楽章」の冒頭はファミコンの効果音にありそうな「はてな?」といった問いかけのような主題になっている。「憂鬱さ」を周囲に訴えるようでもある。「ドラゴンクエスト」シリーズではダイアログ(会話のウィンドウ)で質問が表示されたときに「はてな?」という音が付く。「道具屋の娘」の口ぶりは、それを言えと言われているから言っただけ、「これでいい?」(ちゃんと言ったよ?)と、誰に対するでもなく確かめようとするような感じがある。実は道具屋はすぐ隣。壁越しに道具屋に聞こえるように言っているのかも知れない。
    (12秒)

  72. 名付けて『エジンベアのテーマ』(変ホ長調)
    ドラクエ3では「城」の音楽は1種類きりだが、本来は城ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「エジンベア」ではなかなかお城に入れてもらえないが、入りさえすれば中の雰囲気はこんな感じというイメージ。人と人の距離が近い室内楽。初代「ドラゴンクエスト」のことを述べた「すぎやまこういち」の「ドラクエのお城はバロック」という発言が独り歩きしているが、「エジンベア」のお城は「バロック」ではない。バロック音楽の時代のイギリスの音楽家「パーセル」はあまりにも短い生涯を閉じ、「ヘンデル」はドイツから移住して活躍したに過ぎない。「イギリス」の人々は『大陸』とつかず離れずの距離感のもと「イギリス」の童謡や民謡あるいは聖歌を守り抜いてきたが、ドラクエ3の「エジンベア」は曲がりなりにも「お城」であり、そのような『田舎者』じみた音楽が好まれるはずもなかろう。ここではベートーヴェンの「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」から、メヌエットの「第3楽章」を『エジンベアのテーマ』として聴く。作曲の時期については諸説あり、ベートーヴェン「22歳」の作とも「25歳」の作とも言われ、「イギリス」との浅からぬ因縁があると解説される。弦楽三重奏曲として仕上げるところにこそ作品性があるという考えのもとでは考えられないことではあるが、草稿段階でピアノ譜があったとすれば(ないはずはなかろう)、どういう演奏になるかなと考えて、頭の中でピアノ版に『リアルタイム変換』して聞くという器用なことをしてみてほしい。もっとも、造船と海軍で覇権を手に入れてゆく「イギリス」には管楽器のイメージが強く、ピアノというイメージはなかなか浮かんでこないようにも思う。あるいは背中を丸め、丸薬を丸めるような手つきで指でつま弾いて音を出す「リュート」にまで先祖返りすることとなる。さらに靴を脱いで椅子の上に座れば、日本の「四畳半フォーク」のテイストになってくる。「武器や防具は装備しないと意味がないぞ」という名セリフの味わいもさることながら、寝起きのまま近所の伯爵令嬢の家に行くベートーヴェンが「モーツァルト」を気取ったところで、しょせん『ベートーヴェン』なのだ。ところでメヌエットと言えば、ドラクエ4の「城」の音楽は「王宮のメヌエット」だった。問題ない。
    (19秒)

  73. 名付けて『エジンベアの王のテーマ』(ト長調)
    ドラクエ3の「エジンベア」の王は『田舎者』に対しても分け隔てなく話すというが、すごく隔たりを感じるようすをイメージ。無駄に声が大きく節々が大げさ、自分が話すだけで精いっぱいで人の話を聞く余裕はない感じ。『田舎者』とは何だろう。まったくわからない。「12のメヌエット」の3番目。ドラクエ3の王たちが一堂に会するサミットがあれば、「エジンベア」の王は『3番目』のポジションなのだ。「スーパーマリオブラザーズ3」の「3」の数字に「しっぽ」が付いていることはあまりにも有名である。さあ一列に並んでグイッと首脳宣言がドーン! JVCと書かれたヘヴィなビデオカメラを担いで後ずさり、日本語で『ハチミチ』と書かれたツボを盛大にひっくり返して議論を蒸し返そう。『3番目』とは、得ようとして得られるポジションではないし、誰にでも務まるというポジションでもないのだ。
    (20秒)

  74. 名付けて『スーのテーマ』(ヘ長調)
    北米の架空の先住民をイメージして。カウボーイではない。繰り返す。決してカウボーイではない。「セレナード ニ長調 Op. 8」から「第4楽章」の中間部を『スーのテーマ』として聴く。ベートーヴェン「25歳」から「27歳」にかけて作曲されたと考えられている。「ポロネーズ」はポーランドの民族舞踊に基づく様式を言うフランス語。寝起きのまま近所の伯爵令嬢のレッスンに向かい、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものを所望して憚らない『ベートーヴェン』。繰り返す。決してベートーヴェンが食べ物をぽろぽろこぼしながら作曲したと決めつけることはできない。茹でたてのマカロニにチーズを和えたものとは、現代ならカップ麺で済むところ。カップ麺を自分で調理して片付けもするならともかく、変な時間に使用人に言いつけて茹でたての『マカロニ』(正確にはボヘミア風の平たい卵麺)に『チーズ』(正確にはボヘミア産の非常に安価なチーズかアルプス近郊の未完成品の端切れ)を『和えた』もの(正確にはミルクの行商の売れ残りの生乳が発酵した酸乳を使った濃厚なクリームソースで煮込んだようなもの)を持ってこさせる(正確には調理のすべてに横から口を出し)とは、どこまでベートーヴェンは『ベートーヴェン』なのか。他人の家の冷蔵庫を勝手に開ける。男子は「家庭科」をやらなかった時代の人間が制作したドラクエ3における「衣食住」の描写のぞんざいさもたいがいだが、同じ1988年からフジテレビで放映された「キテレツ大百科」の『食卓』も、ひどいものだった。2000年代に入ると「食育」という言葉が急にクローズアップされるようになり、2005年には「食育基本法」が制定されたが、それもまた極端な運動ではあった。乳製品の「明治」の食育のサイトではベートーヴェンの食生活を「高価ではない」としているが、食材に関する正確な言及がない。シンドラーが誇張して書いたと見られる「イタリア産を輸入」を明示的に否定しない限りは「高価ではない」とは言えない。にわかに「食育」という言葉を使い出す「男子」とは「家庭科」をやっていない人間に他ならないのだ。ベートーヴェンが使ったと伝わる塩と胡椒の卓上容器。「22歳」で「ウィーン」に出てきてからのお気に入りで『勝負メシ』になっていたとも言われる「茹でたてのマカロニにチーズを和えたもの」とは、失われた母性を補完するために自ら作り上げた「大人のための、後付けの母の味」という解釈も。まるでエナジードリンクのようにがぶ飲みしていた安いワインの甘味料には鉛が含まれていた。20歳ごろに始まり25歳ごろには慢性化していたとされる鉛中毒による味覚の変調で、チーズのような(母乳に近い)味と塩味(生存に直結する味)そして痛覚で感じる胡椒しかわからなくなりつつあったとも考えられる。2024年に行なわれた遺髪の分析で現代の基準値の64~95倍という高濃度の鉛が確認されたのにはワインだけでなく晩年の自室での調理過程で器具や食器から溶出した鉛も加わっていると推測できるほか、遺髪の時系列分析(セグメンタル分析)により腹水への処置で使われた鉛を含む医薬品による濃度の急上昇が確認されている。なお、船乗りの味覚障害(自覚症状を訴えるほど強烈なもの)もビタミンCの欠乏よりワインやラム酒の鉛汚染のほうが支配的な原因であると見られるようになってきている。
    (31秒)

  75. 名付けて『エドのテーマ』(ヘ短調)
    スーにて。馬のような優しい目で。長いまつ毛。「2つのドイツ舞曲 Hess 67」から、後半のヘ短調のトリオを『エドのテーマ』として聴く。「Hess番号」は、ベートーヴェンの未完の作品や断片のもの、スケッチなどを整理してヴィリー・ヘスが1957年に発表した。「Hess 67」は、ベートーヴェン「41歳」の作とされる。
    (34秒)

  76. 名付けて『井戸のテーマ』(ハ長調)
    エドに促され井戸を調べる。井戸の底に日が差している。少し進むと冷たい。「ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op. 111」から「第2楽章」を『井戸のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「52歳」で『最後』のピアノソナタ。井戸の底に再び日が差すことはなかった。終戦を知らずに何年も南方の島の「ほらあな」に隠れていた日本兵がいたことはあまりにも有名である。
    (68秒)

  77. 名付けて『商人の町のテーマ』(ト短調)
    テーマパークのような作り物っぽさ。三井不動産のアニメで登校前に犬の散歩。「商人の町」の始まりから終わりまで。起承転結。このことは他言無用ですぞ! 「幻想曲 ト短調 Op. 77」は、ベートーヴェン「39歳」の作。ピアニストで教師なおかつ楽譜出版に楽器製造までもを手掛けていた「ムツィオ・クレメンティ」からの委嘱により書かれたという。まさに「クレメンティ」は『商人』である。『商人』とは「幻想」を作り出して売りさばく仕事である。猫のオブジェを勝手に別の色で塗り替えてしまう三井不動産である。この幻想曲は、もうクレメンティだけのものではないのだ。たまらんち。
    (162秒)

  78. 名付けて『ジパングのテーマ』(ニ長調)
    「ジャポニズム」に頼らず日本の農村風景あるいは世界遺産「平泉」のような景観を今日的な感性で客観的に描写すれば、たぶんこうなるというイメージ。それをまた「ベートーヴェン」が既にやってのけていたという新鮮な驚き。プライスレス。もっとも「田園」という名曲を仕上げた「ベートーヴェン」ではある。「ジパング」とは「黄金」の「伝説」より前に、まずは「田園」なのだ。「田園」である限り、それをどう描こうかというのは「ベートーヴェン」でも誰でも同じなのだ。「中央」で「富」と「名声」に溺れる『作曲家もどき』でない限り「田園」というものをそれぞれが思うように闊達に描けて当然とも言える。繰り返す。「田園」を描けなければ作曲家ではない。音楽に描かれる情景は、作曲家の手で音楽という具体的な形になる前から普遍的に存在している。宮廷舞踏会のために書き下ろされた「12のメヌエット」の7番目。ふと、舞踏会からの『帰り道』を気にする頃合いではなかろうか。何時だろう。雨は降っていないか。終わり次第すぐ帰れるように少し片づけておこう。カラスが鳴いたら帰りましょうとはよく言ったものである。トキの学名はニッポニア・ニッポン。帰りたくなるニッポンが、そこにある。ディスカバー・ジパング。
    (33秒)

  79. 名付けて『やよいのテーマ』(ニ長調:アレグロ)
    やよいはやよいである前にやよいねえちゃんである。立ち上がるやよい。やよいねえちゃんがそんなによわいわけがない。何もないところで転ぶやよいだけがやよいではないのだ。「ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op. 28」は、ベートーヴェン「31歳」の作。伝統的な形式を用いて回顧的な趣を呈しているとの解説が見られる。「第1楽章」を『やよいのテーマ』として聴く。絶え間なく打ち鳴らされる左手が『芯』のある「やよい」を浮かび上がらせる。一部にわかりやすく言えば、ユーミンみたいな声で変な歌を口ずさみJR大崎駅の改札を踊りながら滑るように通過しようとして転ぶ。やよいねえちゃんが転ぶのは左利きだからなのだ。自動改札機は右利きの横暴なのだ。…やっ、やめるのだ! ペンギンのパジャマで写ったプライベート写真はいますぐ消去するのだっ。地下鉄でもないのに「はちばんでぐちー!」と指さして笑ってる子どもがいるではないかっ!!
    (95秒)

  80. 名付けて『呪いのテーマ』(ホ短調)
    その「化け物」は、わたしたち自身の中に、いるのです。たぶん。「ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op. 90」の「第1楽章」を『呪いのテーマ』として聴く。激しい和音の連打。即切り。フルコーラス。ピアノソナタとしては4年ほどの空白期間を経てベートーヴェン「44歳」の年に作曲され、それ以前の作品と異なる情感や「ハイドン」への回帰が指摘される。いわば「ベートーヴェン」が『自覚』した、内なる『呪い』。それは「怠惰」かも知れないし「怠惰」かも知れないし、あるいは「怠惰」なのかも知れない。7つくらいあるという「それ」がすべて「怠惰」なら「プログラマー」の適性があるという。ここで聞くナクソスの音源では、まったくもって1970年代の非常にやかましいFDDのような音である。だが、それがいい。『なぜか』弟子のエルトマン夫人を「チェチーリア」、助手を「クリスティーナ」と呼びながら、毒々しい炭酸飲料をちびちび飲む。「バージョン番号」は小数第2位まで取り、さらに「セカンドエディション」と名乗ろう。そうしよう。
    (10秒)

  81. 名付けて『夜明けのテーマ』(変ホ長調)
    「六重奏曲 変ホ長調 Op. 81b」から「第3楽章」を『夜明けのテーマ』として聴く。特別な夜明けの場面と宿屋に泊まったあとにしばらく流れるBGMのつもりで。夜明けや目覚めそのものではなく、明けてから、覚めてからの気分を活写。
    (11秒)

  82. 名付けて『サマンオサ地方のテーマ』(ト長調)
    荒涼とした草地に強い風が吹き抜けるイメージ。「ロンド ト長調 作品51」が作曲されたのは1798年。抒情的で美しいと評する向きもあるが、意識的であれ無意識的であれ「世紀末」というものが持つ『影』を感じさせられるように思う。これは「世紀末」にはよくないことがあるということではなく(あるかもしれないが)、影が長くなる冬至のころ、要するに「冬」を連想させるということである。「新世紀」という名の『春』を待ちわびる一種のたくましさでもある。ファミコンのドラクエ3には「季節」がなかったが、各地を転々とするうちに何となく季節が巡るイメージがあり、「サマンオサ」に到達したときには「冬の訪れ」「初冬」を感じたものである。もっとも南半球と思しき「アリアハン」からスタートして北半球を巡ってから南半球の「サマンオサ」に到達するのであるから、なかなかに複雑である。
    (59秒)

  83. 名付けて『台所のテーマ』(変ロ長調)
    「台所」(※意味深)のイメージ。場違いなほど軽快に。キユーピーではない。作曲上の空想的な『設定』ではなく実際に開催される宮廷舞踏会のために書かれた「12のメヌエット」の8番目。『料理』(※意味深)をもう少しもらいに行こう。まだ『あいさつ』(※意味深)できていない人物が何名ほど残っているかを確かめながらペース配分である。場合によっては「台所」(※意味深)にも『あいさつ』(※意味深)に行こうじゃないか。『掃除』(※意味深)と『料理』(※意味深)は「ジェイアール東日本企画のアニメ」の『よくある話』(※意味深)である。なあにかえって「ジェイアール東日本企画のアニメ」(※意味深)がはかどる。問題ない。
    (29秒)

  84. 名付けて『墓地のテーマ』(ト長調:アンダンテ)
    墓標が3つ以上ある墓地の場面で。亡霊との会話、碑銘を読もうとしたときなど。「ピアノ・ソナタ第25番 ト長調 Op. 79」の「第2楽章」を『墓地のテーマ』として聴く。メンデルスゾーンによる無言歌集の舟歌を思わせるという解説が見られる。交響曲第5番「運命」と第6番「田園」の翌年、ベートーヴェン「39歳」の年の小品。『やさしいソナタ』つまり家族が弾くのを家族で聞いてくださいという意図がある。墓地には家族の歴史が眠っている。決して陰鬱な場所ではない。慶事を『報告』することもあれば『決意』を伝えに行くこともあろう。
    (31秒)

  85. 名付けて『サマンオサのテーマ』(ハ短調:プレスティッシモ)
    みー・たー・なぁー? 「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」のフィナーレ「第4楽章」を『サマンオサのテーマ』として聴く。『オリビアのテーマ』『バハラタのテーマ』と共通。抜き足、差し足…、みー・たー・なぁー?
    (12秒)

  86. 名付けて『地下牢のテーマ』(ハ長調:プレスティッシモ)
    地下牢の冷たさと湿度と金属のガチャンというイメージ。「ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op. 10, No. 1」の「第3楽章」を『地下牢のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「28歳」。ここに出てくる「ガチャン」という「動機」が、10年後の交響曲第5番「運命」につながる。繰り返す。地下牢とは金属であり運命なのだ。冷たさと湿度だけが地下牢ではないのだ。同じ「第3楽章」を『イシスの女王の寝室のテーマ』としても聴く。地下牢と女王の寝室に共通するのは、自由がないということだ。「難聴」が進行した「ベートーヴェン」の心の内に分け入ってみよう。それは女王の寝室でもあり地下牢なのだ。
    (27秒)

  87. 名付けて『ラーの洞窟のテーマ』(ホ長調:アダージョ・エスプレッシーヴォ)
    ドラクエ3では「洞窟」の音楽は1種類きりだが、本来は洞窟ごとに固有のイメージでBGMをつけてほしいところである。「ラー」だから「ラ」というわけではない。決して「ラー」だから「ラ」というわけではない。そもそも「ラー」とは何なのかを未だに知らない。気にしたことはなかったし、特に知りたいとも思わない。「インパス」必須で空回りの洞窟。むなしく響く「インパス」。『インパスのテーマ』と呼んでもよい。「ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109」から「第1楽章」を『ラーの洞窟のテーマ』として聴く。『いざないの洞窟のテーマ』と共通。
    (80秒)

  88. 名付けて『ブレナンのテーマ』(ニ長調)
    名前のある登場人物シリーズ。「弦楽三重奏曲 ニ長調 Op. 9, No. 2」の「第2楽章」を『ブレナンのテーマ』として聴く。『ダーマの神殿のテーマ』と共通。弦楽器が入れ替わりながら歌う。歌う。歌う。
    (83秒)

  89. 名付けて『ルザミのテーマ』(変ホ長調:アダージョ)
    船で到達し、船を停泊し、帆を降ろしてから島のようすが1つずつ詳しく目に入ってくるイメージ。「弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op. 3」の「第4楽章」を『ルザミのテーマ』として聴く。「イギリス」との浅からぬ因縁が指摘され、「島」や「船」の情景とも連想がつながる。実は「エジンベア」から近い。
    (62秒)

  90. 名付けて『グリンラッドのテーマ』(変ホ長調)
    氷に閉ざされた島で、そこだけぽつんと緑色を感じる音程や音色で。いわゆる魔法使いの杖は「ステッキ」のほか「ロッド」「ワンド」「スタッフ」という呼び分けがあり、ドラクエ5には「ライフコッド」という村がある。『偉大な魔法使い』(?)の老人にからかわれている感じで。そもそも人がいるのかいないのかもわからない感じで! 「メヌエット 変ホ長調 WoO 82」を『グリンラッドのテーマ』として聴く。「WoO(Werke ohne Opuszahl)」は、作品番号なしの作品をキンスキーとハルムが整理して1955年に発表した目録における番号。作品番号がないだけでなく『題名』もないため『グリンラッドのテーマ』などと想像する余地が大きい。「WoO 82」はベートーヴェン「35歳」までには書かれていたのではないかとされている。ここで聞くナクソスの音源は1996年の録音。ある音程や音色(そして特定の演奏)に『緑色』を感じるかどうかは多分に主観的ではあるが、NHK「みんなのうた」の前身の放送で1948年に発表された「緑のそよ風」にも通じるものがある。なお、1985年に郵政省の「テレトピア構想モデル都市」に指定された千葉市では小学校の全教室にテレビが設置されていた…のと関係があるかは不明だが、「みんなのうた」の楽譜の小冊子が児童全員に(入学時に1回のみ)配布され、朝の集会などで活用されていた。季節の歌から始まり、「緑のそよ風」は2番目くらいに載っていたと思う。ほかに「すいかの名産地」も印象深い。ただし、正課の授業では使われず「ドナドナ」など“難しい歌”についてはわからないままだった。なお、「ドアドア」とは緑色の冷蔵庫の扉に、飲み物だけを出し入れする小さな扉が付いているというナショナル(松下電器)の製品である。同名のファミコンのカセットが緑色をしていたら訴えが起こされていたに違いない。一部の口の悪い鉄道マニアが廃車回送を「ドナドナ」と呼ぶことはよく知られている。「緑の光線」とも訳される「Verde Rayo」という発車メロディーがJR東日本の駅で使われている。
    (43秒)

  91. 名付けて『エリックのテーマ』(ヘ短調)
    名前のある登場人物シリーズ。織姫と彦星の彦星のほう。うわ言として同じことを何度も何度も言うようなイメージで。「Prelude in F Minor, WoO 55」は、ベートーヴェン「33歳」の年に書かれたというピアノ独奏曲。「WoO(Werke ohne Opuszahl)」は、作品番号なしの作品をキンスキーとハルムが整理して1955年に発表した目録における番号。作品番号がないだけでなく『題名』もないため『エリックのテーマ』として聴こうなどと想像する余地がある。『題名』はないが「プレリュード」というメモはある。それでは『何』の「プレリュード」なのか。「エリック」に何が起きたのか。「これまでのお話」をふり返る感じこそ「プレリュード」ではなかったか。「プロローグ」と思ってもよい。「エリック」のシーンだけでなく使えそうだ。まさに「プレリュード」である。「33歳」の『ベートーヴェン』に、もっと時間があったら。あるいは他人を『使う』のが、もっと上手だったら。この「プレリュード」の続きが聞きたいものである。演奏にもよるが、この音源ではオルゴールのイメージがしてくる。最近の流行り「やり直しの物語」にあっては、プロローグを語るオルゴールが鳴り終わると時計台に雷が落ちて時計が止まり、そして勢いよく逆回りし始めるといったところだ。JVCと書かれたヘヴィなビデオカメラを担いでムーンウォークで後ずさりしながらバナナの皮にビールをじょぼじょぼ注ぐしかない。
    (31秒)

  92. 名付けて『オリビアのテーマ』(ハ短調:プレスティッシモ)
    名前のある登場人物シリーズ。織姫と彦星の織姫のほう。「エリック」より強い。いろいろなものが渦巻くイメージで。「ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op. 1, No. 3」からフィナーレの「第4楽章」を『オリビアのテーマ』として聴く。とにかく、激しい。『サマンオサのテーマ』と共通。
    (39秒)

  93. 名付けて『サイモンのテーマ』(ホ長調)
    名前のある登場人物シリーズ。口でメラメラと言いながら火口まで1本の剣の物語を語るイメージで。「サイモン」というカタカナから「走馬灯」を連想したわけではない。繰り返す。決して「サイモンの走馬灯」ではない。ベートーヴェン「50歳」の作品である「ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109」から「第3楽章」の「第4変奏」から最後までを『サイモンのテーマ』として聴く。まず幻想的な雰囲気の中、声部が次第にまとめられていく。多声的なコラールのような「第5変奏」の後、次第にリズムが細かくなりトリルに至る。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』に似ているという説明もある。このように「サイモン」から「火口」までの物語はよどみなく進んでほしいのに、HD-2D版では話の腰を折るボスモンスターが出てくるので非常に興ざめだ。
    (156秒)

  94. 名付けて『ネクロゴンド地方のテーマ』(ヘ長調:ヴィヴァーチェ・アッラ・マルチャ)
    架空の黒人霊歌をイメージしたシンコペーションで。「ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op. 101」の「第2楽章」を『ネクロゴンド地方のテーマ』として聴く。ベートーヴェン「後期」の入口となっているという解説が見られるように、その後の交響曲を大いに予感させる。「地下鉄道」の「車掌」が使った「逃亡の合図」とは言わないまでも、1992年のアメリカのコメディー映画「天使にラブ・ソングを」のノリで『豊満な歌』にもできそうである。なお、シンコペーションだというだけで現代のわたしたちは黒人霊歌を連想してしまうが、作曲当時に黒人霊歌は存在せず、シンコペーションがアフリカを連想させるということはなかったようである。ドラクエ3の「ネクロゴンド地方」(と「魔王」)は寓話的に「奴隷」の歴史を表現している。月並みな言い方をすれば「魔物」とはわたしたち自身であり、わたしたちの誰もが「魔王」になり得るのだ。
    (63秒)

  95. 名付けて『ネクロゴンドのほこらのテーマ』(ホ長調)
    表彰台と閉会式と旗を降ろすイメージ。スコットランド民謡に基づく「蛍の光」ではない。ドラクエの王さまは校長先生で、大臣は教頭先生なのだ。『教頭先生のテーマ』と呼んでもよい。フランス民謡に基づく「燃えろよ燃えろ」とは異なる。マラソンあるいはトライアスロン、ひいてはもっと過酷な架空のスパルタンレースのゴールのような「ネクロゴンドのほこら」で待ち続け「勇者」に『伝達』する仕事を終えた教頭先生は何時に帰れるのだろうか。ぜんぜんわからない。なお、最後に出る人がセコムをセットする。ドラクエ4の「アッテムト」では「早くお逃げ!」というセリフがあるが、「ネクロゴンドのほこら」でも用が済んだら無人になり入れなくなるということでもよかった。もっとスパルタンなことを言うなら、「ネクロゴンドの洞窟」に麓から入ると麓が崩落して出られなくなり、全滅しても洞窟内での再開になるというくらいしてもよい。「ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109」は、ベートーヴェン「50歳」の作品。主題と6つの変奏からなる「第3楽章」の冒頭を『ネクロゴンドのほこらのテーマ』として聴く。特徴ある荘重なリズムがサラバンドの性格を与えているとの解説が見られる。まさに表彰台であり閉会式であり『教頭先生のテーマ』である。
    (65秒)

  96. 名付けて『レイアムランドのテーマ』(ヘ長調:アレグレット)
    「ピアノ・ソナタ第6番 ヘ長調 Op. 10, No. 2」の「第2楽章」を『レイアムランドのテーマ』として聴く。「何も教えてくれない『ハイドン先生』」にしびれを切らしたベートーヴェン「27歳」から「28歳」にかけての作で、後年の傑作を予感させると評される。架空のハープのような楽器を「巫女」が交代で絶えず奏で続けるイメージで。「巫女」が「2人」いるのは単に左右対称のシンメトリーで美しいということでなく(もちろん美しいが)、そういう意味なのだ。「油断」という言葉は比叡山延暦寺に由来すると言われる。明治時代に訳された「音楽」の「楽」は元来「御神楽」の「楽」つまり「神」に聞かせるものであった。「油断」を戒めるのと同じように「音楽」を絶やしてはならないという感覚が「レイアムランド」にはあるだろう。であればこそ、ここぞという場面では「音楽」を止めることで『強い演出』としてほしいものだ。ドラクエ3の「レイアムランド」で漫然と「ほこら」の音楽が流れ続けているのには感心しない。ただ、ファミコンで音楽を止めて無音にすると「ぶー」というノイズが上がってくるという技術的な問題はあった。ファミコン版のドラクエ3で音楽を止めるわけにはいかなかったのは理解できるが、その後のリメイク版で漫然と「ほこら」の音楽を踏襲するばかりというのはまったく理解できない。ましてや「レイアムランドのほこら」という地点名(POI)で「ほこら」の音楽がかかるという演出のままグラフィックは「塔」になっているのは完全に理解できない。他人の家の冷蔵庫を勝手に開け、ツボを割りながら歩く。「ほこら」とは何かということをおそらくは1度も考えたことがないまま現在まで突き進んでいるのであろう原作のシナリオライターに全面的に非がある。あなたの「ほこら」という言葉の使い方は間違っているよと教えてあげられる人がいないのだ。…交代の時間だ。「巫女」の1人が下の部屋に下りてくるなり冷蔵庫をあさりだす。あのシナリオライターにして、この「巫女」あり。いやいやいや「巫女」なんて、だいたいそんなものだ。きっと「16歳」なのだ。言いつけを守って儀式をこなすが、儀式の意味なんてこれっぽっちも考えていないのだ。自分の物と他人の物の区別がない。だから『他人のプリン』(※意味深)を食べてしまうのだ。
    (38秒)

  97. 名付けて『大空のテーマ』(ヘ長調:アレグロ)
    「ピアノ・ソナタ第6番 ヘ長調 Op. 10, No. 2」の「第1楽章」を『大空のテーマ』として聴く。1980年のドラえもん映画「のび太の恐竜」の「ピューイ!」という鳴き声を思わせる。そして「すりこみ」。『親』と認識した人間にずっとまとわりつく感じ。…かわいいところが、あるじゃないか。「ペットショップ」という軽薄な呼び方は1980年代後半つまりドラクエ3の年代に出てきたもので、バブル期には何も疑われずに定着していたように思う。広く一般の家庭で魚や小鳥を飼う習慣は古くからあるが、専門店で「買う」という行動はオイルショック後の1974年ごろからの「熱帯魚ブーム」以降のことのようである。三井不動産のアニメでは登校前に犬の散歩をするものだが、もともと犬は「番犬」として飼うものと認識されていた。そのような実利のない動物をエサ代をかけてまで飼育するというのは大変なことで、まさに三井不動産の家を買えるくらいでないと難しい。日本で「トイレットペーパー」が売り切れるとき、アメリカでは「ひよこ」の買い占めが起きているという。「ドラえもん」や「サザエさん」の原作者の世代では家でニワトリを飼うのはふつうのことで、卵を孵すのもふつうのことだという感覚であったに違いない。「ドラゴンクエスト」シリーズの制作陣は(年長の社長や専務そして「すぎやまこういち」を除けば)少し若い世代であるから、ドラクエ3における表現に実感があるのかどうかは、やや疑わしい。単に「のび太の恐竜」と「ペットショップ」に触発されてのミーハーなシナリオに過ぎなかったのかもしれないが、それでも『感動的』であることに変わりはない。なお、1980年からフジテレビで放映された「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の「畑正憲」は「プロ雀士」でもあったという。最新のアニメで(『異世界』の)「羊」を呼び集めるシーンで引用されるなど、その影響は今でも大きい。
    (55秒)

  98. 名付けて『ギアガの大穴のテーマ』(変イ長調)
    その見ているだけで落ちそうな穴に。変イ長調。これはたいへんだ大穴の異変なのだ。ヒューストンで月見うどん。階段を踏み外す夢を見て足がびくっとする。夢の中で夢から覚めることもあるだろう。ファミコンをRF接続した銀色のテレビ。「ギアガの大穴」をのぞきこむと、自分の顔が映っているのだ。背中を丸め、5Hzくらいで震えながら丸薬を丸めるような手つきで正確に数えたコーヒー豆は『60粒』。「ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op. 111」は、ベートーヴェン「最後」のピアノソナタで「52歳」の作。「第1楽章」より、変イ長調の「第2主題」を『ギアガの大穴のテーマ』として聴く。「戻ることのない終わり」や「此岸と彼岸」と形容され、まさに『ギアガの大穴のテーマ』と呼ぶほかない。そして、こちらはベートーヴェンではないが「太田胃散」のCMで使われている音楽が「イ長調」であることはあまりにも有名である。
    (22秒)

  99. 名付けて『冒険の書のテーマ』(変ホ長調)
    『生家のテーマ』と対になる「今回のお話はここまで」の音楽として。特急列車の終点のオルゴールでもよかった。むしろオルゴールだった。おもちゃのような音色が、物語の世界をミニチュアのように感じさせ、物語を外から見ている自分に引き戻す効果がある。ベートーヴェン「22歳」の年に作曲された「創作主題による14の変奏曲」は、その後のベートーヴェンが「自分の音楽」を開花させていく直前の『蕾』である。その素朴な主題には、むしろ無限の展開が予感される。『冒険の書のテーマ』とは『予感のテーマ』でもある。素晴らしい明日のために、しっかりおやすみ。
    (26秒)

  100. (4088秒)