DQ3 THE WORLD TOUR ZOO ▶ 鑑賞ワークシート「ティータイム」


最終更新:2026年10月12日

鑑賞ワークシート「ティータイム」

着目した楽曲の発表当時と現在の評判を調べてみよう。時代により「音楽」を取り巻く社会背景は大きく異なる。技術革新や産業の変化、貿易の広域化といったファクターは「楽器」に変化をもたらし「楽曲」の有り様すら変える。演奏者と『聴衆』の関係も、「音楽」のための空間(ホール)の巨大化、「録音」による普及など、作曲当時とまったく異なる。いたってまじめな日本の小学生諸君はクラシック音楽は神妙な顔で真剣に聴くものと思われされているかも知れないが、歴史的には古代の「まったく聞いてない王侯貴族」あまつさえ中世の舞踏会やオペラから近現代のアメリカや日本(そして日本の中のアメリカ)の社交場まで「大声で話し続ける酔っ払い」の前で演奏していた時代のほうが長い。そうしたところから出てきたのがユーミンですらある。

演奏者としての集中力と緊張は、やり直しのできる「録音」より「演奏会」(生演奏)のほうが格段に高い。それゆえ、演奏者の評価(業績)として「録音」は「演奏会」に劣るものとみなされる。しかし、これはあくまで演奏者を評価するときの考えである。わたしたちは「録音」を存分に楽しませてもらおう。YouTubeで(違法アップロードではない)公式のCD音源を聞けば、YouTubeが音楽の使用料をきちんと払ってくれる。ラジオを聞くのと同じようにYouTubeを聞いてよい。酔っぱらって大声で話しながら聞くのでは聴いたうちに入らないのは当然だが、お茶の時間に聴くのは構わない。NHK-FM「クラシックカフェ」のひそみに倣って「ティータイム」と題した。まさに茶飲み話のように取り留めなく気取らない感想を音楽鑑賞ノートに残していこう。

日本語では「音を楽しむ」と書く「音楽」だが、「御神楽」のように「楽」とは神に捧げるものであった。古代の権力者は神格化され、神に捧げるのと同じように「音楽」が四六時中、捧げられていたのである。鐘や太鼓を打ち鳴らしてウイルス退散。「バロック音楽」も教会の音楽である。世俗的ひいては民衆もが「楽しむ」ようになったのは新しいことで、その最先端が「ゲーム音楽」なのだ。ところが「ドラゴンクエスト」シリーズの楽曲を一手に手掛けた故「すぎやまこういち」が『神格化』されかかっているのには相当な違和感がある。『偉大な作曲家』と『われら』とを分断してとらえる卑屈な精神にはまったく感心しない。わたしたちの「ティータイム」に作曲家がふらっと現れたらこんなことを話してみたいなといった気楽なことを、おおまじめに考えよう。

ドラクエ3のリメイク版で導入されている「性格」のシステムは秀逸である。「すぎやまこういち」も心理学を専攻しているが、「性格」を説明するファクター(因子)は5つしかなく「ビッグ・ファイブ」と呼ばれている。「性格」は千差万別に見えて、実は5つの因子に集約でき、因子そのものは誰もが5つとも持っていて、その組合せと強弱が「性格」なのだ。過去の作曲家がどんな人物だったのかは、いろいろな記録に残された「性格」をうかがわせる記述から、おおよそのことは見当がつくものである。そもそも人間とは複雑怪奇なもので、ごく表面的なことしかわからないものである。同時代を生きたからといって何がわかろうか。作曲家と顔が似ている先生はともかく、自分が知っている身の周りの人物の誰と似ているかというとらえ方で十分である。

「ティータイム」いわゆるアフタヌーンティーは、1840年代にイギリスで始まったとされる。「ティータイム」を催すには、そもそも「ティー」(歴史的には紅茶)がなければいけない。「DQ3 THE WORLD TOUR ZOO」の「エジンベア」で触れた「東インド会社」あっての「ティータイム」である。クラシック音楽において『イギリス』の存在感はあまりない。イギリスのオーケストラで管楽器を吹く団員が(管楽器の音を聞くと)「キツネ狩り」を思い出して妙に腹が減ると語ったという話がN響のブログに載っていたが、いつのまにか掲載が終了していた。インターネットに載せる情報は恒久的な公開を原則にしてほしい。「ティータイム」とは、決して『その場しのぎ』で『場当たり的』なおしゃべりをする場ではないのである。

作例

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